職業別の寿命
偶然購入した週刊誌に、100歳長寿者に関する記事が載っていた。今から40年ほど前にも同じような記事を雑誌で読んだことがある。その記事に何が書いてあったか、おおかたは忘れてしまったが、いまだに記憶している調査項目が一つあった。それは職業別の寿命に関する調査結果で、短命な職業として銀行員と高校教師の二つがあげてあったのであった。
銀行員は金を扱うだけにミスが許されないだろうし、あの頃の高校教師は「高校紛争」の波にあらわれていて気の休まるときがなかったから、こういう結果になるのも無理はないと思ったのだ。ところが、今度週刊誌を読んでみたら、教員の長寿命者が飛び抜けて多いとなっている。この「教員」というのは、小・中・高の教師をひっくるめた総称だろうから、どうやら以前に短命だとされていた高校教師も寿命が少しは延びたらしいのである。
今回の調査を行ったのは東京都健康長寿医療センターで、東京都在住の100歳以上男性が30代だった頃の職業分布を調べたら、教員の長寿者が異常に高いことが判明したのだという。反対に短命なグループは農業・林業などの第一次産業にかかわる人々だった。
この調査を担当した研究員は、教員が長寿命者グループのトップになった理由をこう解説している──100歳以上教員が現職にあった頃は、教員が尊敬されていた戦前だったから、モンスターペアレントなどはいなかった、そのためストレスにさらされることがなかったのだろう、と。
だが、小学校の教員を父とし、自分もまた教員になった愚老からすると、こうした見方は常識的に過ぎるような気がするのだ。
戦前の教員は、在職中、細く長く生きることを心がけたし、退職後も細く長く生きた。教員が長命だとしたら、この辺に原因があるのではなかろうか。
これは戦後になっても同様で、大企業のサラリーマンからすると、世の教員たちは呆れるほどの低い給与に甘んじながら、ひたすら細く長く生きているように見えるに違いない。だから、野心的な学生は、学校の職員室を無能な人間の溜まり場と見なし、長い間、軽侮の目を向け続けたのである。戦後に流行した「デモ・シカ教師」という言葉も、「教師デモしようか」という教員と、「教師になるシカ能のない」という教員ばかりだという世論を背景に生まれた言葉だった。
戦前の教員が、在職中に不平も言わずに、細く長く生きたのは、退職後に「恩給」が貰えたからだった。年金制度が確立していなかった当時の日本では、退職後に与えられる恩給ほど有り難いものはなかったのである。公務員の中でも特に教員は、みな恩給を目当てに勤務に励んでいたのである。
事情は戦後になっても変わらなかった。教員を含む公務員は退職後、「恩給」に代わる公務員共済組織に守られて現職時代とあまり変わらない生活、つまり「細く長い生活」を持続できるようになっている。教員以外の公務員は、在職中のコネを生かして民間企業に再就職することも出来るけれども、教員にはそうしたルートがないから、年金で暮らすしかない。そこで老後の長い生存期間を趣味に生きるか、ボランティアに精を出すしかなくなり、教員の生涯は現職時においても、退職後も、細く長く生きるということで一貫することになってしまった。そして、これこそが教員らを長寿にする母胎になったのであった。
長生きをするという点だけに絞って、その秘訣を探れば方法は簡単である。世事を冷眼に眺めながら、細く長く生きること、これなのだ。そして、こうした生き方は教員でなくても、その気になれば誰にでも可能な生き方なのである。