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「おしずかに」という方言

2014/6/6(金) 午後 2:33
「おしずかに」という方言

四日前の「信濃毎日新聞」に方言に関する投書が載っていた。

筆者は84歳になる松本利治子という女性で、「いこいの家」で入浴後、休憩室で休んでいたら昔懐かしい方言を耳にしたというのである。その方言を語ったのは70歳くらいの女性で、休憩室に入ってくるなり、その場にいた先客たちに、こういったというのだ。

「おしずかに」

筆者がハッとしたのは、それが母や姑がよく口にしていた川中島地区や善光寺平の方言だったからだ。「おしずかに」とは、「静かにしてくれ」という意味ではなかった。筆者によると、この言葉は次のような場合に使われる方言なのであった。

  来客にお茶や食事を出すとき「ゆっくり召し上がれ」という意味で使用

  客が帰宅するとき「道中、気をつけて」という意味で使用

こうした使用例を頭に置いて、休憩室に入ってきた女客が「おしずかに」といった意味を推測すれば、こうなるのではなかろうか。

  「私が現れたからといって、気をつかう必要はないですよ。私のことは無視していただいて結構です」

日本人は、「場」の状況変化に敏感で、何か変わったことが起きれば、すぐその変化に対応しようと気を遣う。つまり、たえず心を患わしているのである。だから、自分の出現によって、人々が「平常心」を失いそうな場合には、あらかじめ「おしずかに」と言って、自分のことで気遣いする必要はないですよと一言ことわるのだ。

こうして、相手の「平常心」を尊重する姿勢は、自分が存在しない場面についても適用される。帰途につく来客の身に予想外の事件が起こり、心を患わすことがないように「おしずかに」と声をかけるのだ。客が何事もなく自宅にたどり着くことができるように、本人になり代わって願ってやるのである。

では、「場」の空気を乱さないように、人々の中にあって自分を無にしていればいいかというと、これは別の意味で「場」の攪乱要因になるから好ましいことではない。座のなかに独りだけ世間話に乗ってこない無愛想な人間がいると、その存在が異物として意識されて皆を落ち着かせないからだ。場の空気に特に敏感なのが、少女期から中年にかけての女性グループで、職業上、この年代の女たちと接触しなければならない男たちはいろいろと苦労することになる。

女子バレーの監督として成果を上げてきた有名な男性が、「監督というのは選手の全員に絶えず現金の支払いをしていなければならないから、気が抜けない」とTVで語っていた。「現金支払い」とは、個々の選手に対する声かけ・笑顔などを意味するらしかったが、これは当方にもよく分かる話だった。愚老は、教職在任中を無口と無愛想で通したため、周囲の悪評を買っていたからだ。

「場」の中で生きる日本人は、与えられた座のなかで目立ちすぎてもいけないし、静かにしていてもいけない。その辺の呼吸が分からないと「場」からはじき出されてしまう。日本人の協調性や集団主義はこのへんから発しているし、「おしずかに」という方言もここから発していると思われる。