日本への違和感(5)
満州事変以後の日本は、官民挙げて戦争を支持し、どの新聞も競って「暴支膺懲」の記事を書き立てた。そして、日中戦争から太平洋戦争へと突き進むのだが、戦争に批判的になり始めた愚老は、「この日本には、戦争に反対する国民が一人もいないのか」と暗澹たる気持ちになった。こうなったら、戦場に引っ張り出されて、死ぬしかないなと覚悟をきめたのである。
ところが、戦争が終わってみると、戦争中に沈黙を守っていた知識人たちが相継いで、これまでのミリタリズムを弾劾し、平和国家日本を建設しようと発言しはじめた。すると、今度はすべての新聞・雑誌が「日本は今後、東洋のスイスになるべきだ」とか、「世界政府の実現を」と強調し始めたのだった。
官民一致で平和国家の建設を誓った日本は、数年すると、またもや態度を一変させ、戦犯だった岸信介を首相にするのである。そして安保条約を再改定する。なぜ、日本ではこんな奇妙な現象が起きるのだろうか。一国の方針を巡って、右になだれ込んでいったり、左になだれ込んだり、その都度、挙国一致の大転換を敢行するのだ。
日本には右と左、保守とリベラルの対立する二つの潮流がある。他国では、その一方が多数派になっても、少数派は発言をつづける。だが、日本では多数派が出現すると、少数派は沈黙し、マスコミも少数派には発言の場を与えない。かくて、戦争が始まれば国内は官民共に「戦意昂揚」一色になり、戦争に負ければ「平和国家建設」一色になるのだ。
今回の「朝日新聞叩き」にしても、朝日新聞の権威の前に沈黙していたマスコミや評論家は大喜びで朝日新聞を叩いて鼻をうごめかしている。反面で、これまで朝日新聞に寄稿していた「有名文筆家」らは、寂として声無しといった具合に沈黙を守っている。
朝日批判の短文を読んでいて、愚老が思わず笑ってしまったのは、「正か邪か、善か悪か」という基準で事に処するのではなく、「義理と人情」という基準ですべての事に当たることにしたという山折哲雄の感想だった。戦争中、自由主義者のあるものは、時代におもねる文章を書くとき、こんなふうな顧みて他を言う式の発言を繰り返したものだった。
こういう光景を目にしてイギリスの新聞記者は、「水に落ちた犬は叩くな」という感想をもらしている。山折は、せめてこの程度まで踏み込んだ発言をすべきだったのではないか。
日本人はどうして反対派の勢力が強くなると、沈黙を守ってしまうのだろうか。そういう時にこそ、持論を強く打ち出すべきなのに。
結局、日本人は「建前と本音」の二重原則から、離れられないのかもしれない。多数に逆らっては生きられないという恐怖心が根強くあるために、本音を隠して沈黙するか、積極的に多数に媚びるかする。これを「明哲保身」といってしまえばそれまでだが、おかげで日本の民主主義は深化の速度を落とすのだ。