甘口辛口

女のエゴイズム

2014/11/22(土) 午後 6:24
女のエゴイズム

 高校教師として「生徒一般」を眺めていると、何となく感じてくることがある。それは「男と女では、エゴイズムの質が違うらしい」ということなのである。その理由は何かといえば・・・・・
  差し障りがあるので具体例を挙げるのは控えるけれども、教師は乱暴者でエゴイズムの塊のように見えた男子生徒が、友情のため、「義」のために犠牲的な行動に出たり、普段は愛情豊かに見えた女生徒が芯のところで自分のことしか考えていないジコチュウぶりを暴露したりするケースにたびたび接しているからだ。
  分かりやすくいえば、女生徒は自分が損をするようなことを滅多にしないが、男の生徒は損を承知で破滅的な行動に出ることが間々あるのである。例えば自死の問題でも、いじめで自殺する生徒を調査すれば、女生徒よりも男の生徒の方が多いのではなかろうか。
  明治以後の作家の自殺を調べてみても、男性作家は川上眉山から三島由紀夫に至るまでかなりの自殺者を出している。が、女性作家が自殺したという話を聞いたことがない。女流作家は、作家として行き詰まったというような理由で、死を選ぶようなことをしないのである。
  愚老は年齢を重ねるにつれて、人類を動かしている一番強い欲動は種族保存本能ではないかと感じるようになった。カマキリの雌は、生殖行動中に雄の体をカリカリ食べ始めるといわれる。昆虫の世界だけでなく、動物の世界も種族保存本能を軸にして動いている。そして人間も、また、種族保存を最上位とする欲動体系の渦中で生きており、自然は種族保存のために女性に対して、男とは比較にならないほど強い自己保存本能を与えているのである。
  種族を維持するためには、男性よりも女性の方が重要であることは論を待たない。だから、男には、「女・子供を守る」ためには、命を捨てても悔いないという感情が備わっている。愚老は戦争末期に戦場に引き出されて死ぬことを覚悟したが、何のために死ぬかといえば、天皇や国家のためではなかった。「女・子供を守る」ために戦場で死ぬのだと感じ、事実そのように明確に意識し、自覚していたのであった。生命体には、もともと、オスに利他本能、メスに自衛本能が与えられているのである。
  こういう観点から眺めるなら、近頃、女性が家庭内で肉親を殺害する事件が増えた理由も納得されてくる。これまで女性は生命を生み育てる存在であるが故に、すべての生あるものに無償の愛を注ぐものとされてきた。だが、そうした見方は、過去の男性優位の時代に、男が女にそうあって欲しいと願って作られた女性観だった。それで、女性自身もこれを受け入れ、そうあるように努めてきたから、その強い自己保存欲求は自我の奥深くに秘匿されることになったのであった。
  だが、今や女たちは本音で生きはじめるようになった。娘になるまで、母親に押さえつけられていた才女たちが、競って母を糾弾し、母に早く死んで欲しいと公言する作品を書くようになった。女たちは自然が与えた特有のエゴイズムに基づいて生きることを自身に許し始めたのである。
  少女らが、身近にいる肉親に殺意を抱くようになったとしても不思議ではないではないか。