キーン・ドナルドに興味を感じたのは、何ヶ月か前に彼に関するテレビを見て以来だった。その番組には、こんな題名がついていた。
「日本人キーン・ドナルド 90歳を生きる」
彼はその番組の中で、自分が90歳になったこと、そして今が一番幸福であることを語っていたのだが、愚老はそれを聞いていて、おやおやと思ったのである。愚老も程なく90歳になろうとしており、人から幸福か否かを問われれば、多分、幸福だと答えるに違いないような心境でいたからだった。つまり、キーン・ドナルドと愚老は有名か無名かという相違点を除外すれば、年齢もほぼ同じ、現在を生きる心境も共通している「似たもの同士」なのである。
これまで愚老はキーンについて、ほんの概略しか知らないでいた。それでも、今度、書庫を探してみたら、「日本を理解するまで」という彼の著書と、彼が司馬遼太郎と行った対談集が出てきた。だが、この二冊とも買ったきりで読んでいない。それで、取り急ぎこれを「自炊本」にして通読してみたところ、キーンと愚老とでは、片や折り紙付きの勤勉な秀才、片や怠け者の鈍才という違いがあるものの、人間的な面でも、かなり似ているところがあるようなのであった。
彼は反戦主義者だった。そのほか、彼は日本文化と日本文学を研究するようになってから、平賀源内を愛するようになっている。愚老も旧制中学時代にトルストイに熱中すると同時に江戸時代の滑稽本や洒落本も読んでいて、その頃、特に文人としての平賀源内を愛していた。それで、級友たちに自分を売り込むに当たって「風来山人」と自称していたほどだったのである(「風来山人」は平賀源内のペンネーム)。
また、キーン・ドナルドは、国東半島に出かけて三浦梅園の旧居を訪ねている。愚老が退職後、最初に行った探訪旅行も三浦梅園の旧居へのものだったから、もしかすると愚老は彼と現地で顔を合わせていたかも知れないのである。
だが、彼と愚老の間には、決定的な違いがあった。
キーンはニューヨークに生まれた生粋のアメリカ人でありながら、アメリカに違和感があって日本に愛情を感じ、日本の国籍を取得している。愚老はその反対で、日本に違和感を感じ、長い間アメリカと同じ英語圏であるイギリスに惹かれて来た。自分の生国に馴染めないものを感じて、他国に目を向けるという点は共通しているけれども、自国の代わりに愛する他国がキーンと愚老では正反対なのである。
実を言うと、愚老もこの年になってようやく、自分も日本をプラスの面から見直さなければならないと考えるようになった。愚老が心に念じている座右銘は「本来、無一物」と、「その居に安んじ、その俗を楽しむ」の二つなのだが、愚老に安住の地と寓居を保証し、本来無一物の生活を可能にしてくれているのはこの日本国なのである。
では、日本を愛するようになるためには、この国をいかなる角度から眺めるべきだろうか。それを知るためには、キーン・ドナルドから学び、キーンの視点に立って日本を眺めてみる必要があるのではないか・・・・そんな気がしてきたのである。
(つづく)