甘口辛口

自炊本をめぐる迷走(2)

2014/12/16(火) 午後 10:18
 自炊本を巡る迷走(2)
 「自炊本」にしなくても、新書版の本が読めると分かったので、谷崎潤一郎全集30冊の中から、「お艶殺し」だの「悪魔」だの、いかにも谷崎らしい題名の作品を選んで拾い読みをはじめた。そのうちに、2014年ミステリー(海外部門)ベスト10の首位に選ばれた「その女アレックス」というミステリーの書評が、週刊誌や新聞で取り上げられるようになった。
 その書評の一つを読んでいたら、一昔前、翻訳ミステリーを耽読していた頃の記憶が蘇ってきて、どうしてもこの本を読みたくなる。そこで書見器に装着していた谷崎の本を取り外して、買ってきた文庫本の「その女アレックス」に入れ替え、早速読み始める。すると難なく文庫本の小さな活字もすらすら読むことが出来るのである。
 愚老が翻訳ミステリーのファンになったのは、和製のミステリーよりも「文学性」が濃いように思われたからだった。日本の推理小説に出てくる名探偵や敏腕刑事には、本質的な意味で個性がなく、ほとんどすべてステロタイプに描かれている。
 けれども、外国製のミステリーに出てくる探偵や刑事は、自身の離婚問題に悩んでいたり、生来、神経症の傾向があったりして現実感があるのだ。犯人が問題を抱えた人間なら、これを追い求める探偵や刑事も問題を抱え込んでいるのだ。
 つまり和製ミステリーでは犯人の性格が描かれているだけだが、翻訳物はそれに加え追跡者の性格も描かれる結果として、作品の濃度が二倍になっているのである。「その女アレックス」に出てくる刑事はさほど個性的な人物ではないものの、死んだ母親との関係で、そして以前に妻が惨殺されたという過去を持っている点で、かなり複雑な人間として描かれている。
 「その女アレックス」を途中で休むことなく半分ほど読んでいると、目が疲れてきた。すると、警戒心が湧いてきた。
 (調子に乗っていると、ぶり返しが来るぞ)
 これまでに体の不調や、さまざまな神経症に悩まされてきた愚老は、長い間の経験から病的症状には波があることを知るようになってきている。例えば、排尿がスムースに行かず、前立腺肥大の兆候が出てきたとき、癌ではあるまいかと気にしていたことがある。その兆候はかなり長い間続いていたが、いつとなく症状は自然に治まっていったし、そして毎日の食が進まず、茶碗一杯の飯を食べるにも卵かけ飯にして流し込まなければならない時期が続いたが、それも自然に治まって、いつとなく食欲が戻ってきている。だが、調子に乗って無茶なことをすると、症状はかならずぶりかえすのである。
 自分の視力が回復したのも、「火事場の百人力」などではなく、山あり谷ありの症状の平穏期に来たためかも知れない。この状態を長続きさせるためには、目をいたわってやらなければならない。
 目をいたわるためには、どうしたらいいか。・・・・やはり、読書量そのものを減らさなければならないし、文庫本のような小さな活字で印刷された本は「自炊本」にして読まなければならない。
 そこで愚老は、直ぐさま、半分まで読んだ「その女アレックス」を裁断機にかけ、ScanSnapで電子本化した。そして、本を読む時間を減らすために、自分をクラシック音楽に耽溺していた昔に戻そうと考えたのであった。最近、自炊本をこしらえる作業場に転用した畑の中のプレハブ小屋は、そもそもステレオを聴くために作った建物で、小屋の隅には今も使われなくなったステレオ装置一式がそのまま残っているのだ。
 ステレオ装置は、転勤の多い息子が残していった大型スピーカーに繋いであり、CDや音楽用のテープもその周辺に置いてある。愚老は「その女アレックス」を自炊本にした後で、久しぶりにステレオの埃を払い、装置を電源に結んで作動させてみた。すると、CDのランプが点灯してドボルザークの「新世界」が大きなスピーカーから溢れ出てきたのである。
 「新世界」は、ほぼ10年前にステレオで聴かれたあとで、所有者によってすっかり忘れ去られていたのだった。にもかかわらず、ステレオは以前と寸分変わらぬ音をつむぎだしている。
 懐かしかった。久しぶりに聞く交響曲は、各バートからの音が粒のように分離して聞こえる。以前には各パートの音が一つの流れの中に溶け込んで圧倒的な迫力で耳に流れ込んできたが、今は各パートの音が粒々に別れて、その複雑な統合として、何か建築体のような感じで曲が耳に入ってくる。
 気がついたら、目が涙で潤んでいた。
 それから、続いてさまざまなCDをかけてみた。耳にする印象がすっかり変わっていたのは「α波インナー・ミュージック」というCDだった。好奇心に駆られてこのCDを購入したときには、バカなことをしたと思っていたのである。最後まで聴いていることが出来なかったのだ。だが、今度は最後まで傾聴していることが出来た。CDを聞いていてα波が生まれたかどうか定かではなかったが、バックグラウンド音楽として流しておくには最適ではないかと思ったのである。
 自炊本の件で、あれやこれやと迂路を歩いているうちに、どうやらクラシック音楽の世界に立ち戻ることになったらしい。