川上弘美の「水声」(2)
姉は、弟を異性として愛することが社会的に禁じられていることを知っていた。だから彼女は自分の感情を両親にも誰にも隠していたし、いろいろな詐術を使って、これは世にいう近親相姦的な愛情ではない、正常な肉親愛なのだと、自分自身をだまし続けていた。
その点は弟の方も同じで、だから二人はやましさから互いに目を合わせることができなかったのだ。だが、いつまでも自分をだまし続けることは出来なかった。彼らはやがて自分の気持ちを明確に認めるようになった。姉は書いている。
<開けてはならない箱。その箱はわたしと陵二人の手で丹念に包装されており、おまけに瀟洒なリボンかなにかまで巻かれているのかもしれなかった>
こうなると、その箱を開け放つのも時間の問題だった。ある日、弟は姉の部屋を襲い、姉をおのがものにする。そうなると世間の目が痛切に意識されはじめ弟は姉を捨て、両親を捨てて家をとび出てしまうのだ。
その弟が再び実家に姿を現したのは、母の死が迫ってきたときだった。弟は以前に使っていた自分の部屋に泊まることになったが、今度は姉がその部屋を訪ねて、弟と体を重ねる。
<決して起こらないことだと思っていたのに、それはいともたやすく行われた。不自然さは全くなかった。まるで体を重ねることを習慣としている男女のようだった。(ふつうの男の体のよう)
わたしは思っていた。陵と体を重ねる直前、もしも事が成ってしまったなら、時間はこののち決して連続的に流れないのではないかと予感した。けれど、そんなことはまったくなかった。する前。している時。した後。時間が不連続になることは、まったくなかった。空白も、爆発的な変換も、何もなかった。しているうちに、相手が陵だということを、一瞬忘れさえした。男と、している。それだけだつた。かつて恋人だった幾人かの男たちと体をかさねた時に、思わず「愛している」という言葉を口からほとばしり出させたような、あのやつあたりにも似た強迫的な感覚さえ、おぼえなかった。わたしの上で動いているのは、物質としての身体を持つだけの、何者でもない者だつた。そして、その下でうねるように動いているわたしも、ただの物質だつた。(だけど、なんてきもちがいいの)ただそのことだけを、わたしは感じていた。終わつてから、陵は恥ずかしそうに下着をつけた。「照れてるの?」聞くと、陵はうなずいた。「都だつて、そうだろ」顔を見合わせて、苦く笑った。今の自分の笑い顔は、きっとママに似ていると思った。陵の笑い顔は、パパに似ていたから>
その後、二人は同棲して同じ部屋で並んで寝るようになる。そして折に触れてセックスをするが、それは通常の性行為とは違っていた。姉に言わせると、「体を使っていたのに、体のためのものではなかった。何かの証明のように、わたしたちは体を利用しただけなのだ」というようなセックスだったのである。
こうして姉弟は老いていった。老年を迎えた彼らの「夜の生活」はどんな風のものだったろうか。次に引用するのは、隣に寝ているた弟に顔を愛撫されたときの姉の反応を描いた一節である。
<・・・・陵の指の腹が、閉じたままのまぶたを、首筋を、なぞってゆく。あの夏、陵はこんなにゆるやかな動きをしはしなかった。あれは性急で、何かを押しっぶそうとするような動きだった。ゆっくりと、目を開けた。「するの?」「どっちでも」
陵は静かに答えた。
両のてのひらで陵の顔をはさんだ。ママのことを、少しだけ思い出した。でも、ほんの少しだけだ。「しなくても、大丈夫?」言うと、陵はうなずいた。「うん、そうだね。もう、どっちでも、いいね」かみしめるように、陵は答えた。だから、ふたたびわたしは陵の顔を両のてのひらで包んだのだ。どっちでも、いいの。そうだね。言い合いながら、互いの体をさぐる。体温のこもった布団の中で、足をからめる。欲情していなかったものが、ふれることによって少しずつ高まってゆく。体を重ねることで明らかにできることなんて、何もないことを知っているからこそ、ほがらかに体を重ねる。
日曜日は、いいね。
うん、ゆっくりできて。
光がよく差してるよ。
もうすぐ桜が咲くから。陵の足とわたしの足の区別がつかなくなってゆく。指も、腕も、脇腹も、背中も、頭蓋骨を包む薄い肌も、髪も、陵のものはすべてわたしのもので、わたしのものはすべて陵のもの>
「水声」という作品を読むと、姉弟が時の経過によって救われ、最終的に幸福な老後にたどり着いたことがわかる。彼らは古びた実家の奥で、静かな日常を重ねたことで、いつしか幸福になっていたのである。
これは無欲な夫婦が、淡々とした日々を続けているうちに、いつの間にか晩年の浄福めぐまれるのに似ている。このことを作品の中のヒロインは、こう総括する。
<ずっと、重しのようにわたしたちの上に乗っていたものは、どうやって外れていったのだろう。突然に重しはとれたのではなく、おそらく少しずつ少しずつ、はずれていったのだ>
彼らはモラルに外れた近親相姦者であるという自覚から、人目をはばかって密やかに生きていた。その生活が、川のほとりで静かな水音を聞きながら生きるような幸せを姉に感じさせたのであった。ヒロインにとっては、弟の隣りで生きられるほどの幸福はなかったのである。