日本的反知性主義
今でも記憶に残っているのは、日本を訪れたアメリカのジャーナリストがホームレスらを眺めて語った言葉だ。「日本のホームレスは、みんな週刊誌や新聞を読んでいる!」
アメリカのホームレスは、一字も解しない文盲が多いから、そこらでゴロゴロしていても新聞などを読んでいるものはいないのだ。これには、英語をマスターしていない異民族が多数アメリカに流入してホームレスになっているという現実もあるかもしれない。だが、日本では義務教育が徹底していてホームレスといえども、すべてが「識字層」なのである。
にもかかわらず、日本の若者には自国が以前にアメリカと戦争したこと、そして敗北したことを知らないものたちがいるという。まさかと思っていたが、最近、テレビの「教養番組」なるものを見ていて、なるほどと合点した。
その一つは、有名講師が数人のタレントを集めて講義するという番組で、そのときのテーマは美術についてだった。講師が出席者に自分の知っている画家の名前を挙げて欲しいと注文を出したら、
「シューベルト」
「石川啄木」というような答えが返ってきたのだ。こう答えたのが、「阿呆」を売り物にしているお笑い芸人だったら、ああ、笑いを取ろうとしてわざとあんなことを言っているのだなと理解できる。が、出席していたのは俳優や普通のタレントだったのである。彼らは、むしろ自分の教養をひけらかしたいと思っているようなメンバーだったのだ。
それから暫くして、別の番組を見ていたら、台所に出没するネズミの駆除法について取り上げていた。これには、かなり名の知れたお笑い芸人が出演していたが、彼はネズミの数を数えるのに「1頭」「2頭」といっていたのである。これも、笑いを取るためではなく、レポーターとしてまじめな顔で駆除数を報告するための用語として使っていたのである。
愚老は他人の無知や無教養を笑えるほどの知識を持っていないが、それでもこれらのテレビを見ていて、これはちょっと酷すぎるぞと思った。日本人の識字率は世界に冠たるものがあるかも知れない。だが、日本人の所持している知識の層ときたら、驚くほど薄いのである。
精神科医の斉藤環は、総選挙での自民党の大勝が日本人の反知性主義を背景にしていると分析している(朝日新聞・1月10日)。
彼はマイルドヤンキーという用語を使って説明するのだが、マイルドヤンキーとは「ヤンキーに憧れてはいるが、ひ弱でなれなかった」グループのことなのである。その典型的な人物は、安倍晋三首相であり、無意識に自民党を支持している階層もこのタイプに属するという。
もう少し詳しくマイルドヤンキーについて説明すれば、
「うっすらと不良性をまとい、地元と仲間の<絆>が大好き、物事を深く考えず気合いや勢いを大事にする」「知性的ではないが、人情に厚い人情型、情実型保守」
ということになる。そして斉藤はこう述懐するのだ。
「日本社会を近代市民社会に変えることは、とてつもない難事業と言わざるを得ません。この社会の異様なまでの柔構造ゆえです。表面だけ追随しても深層は一切変えないための柔軟さを日本人は持っているのです」
氏の述懐を愚老流に翻訳すれば、日本人が深層で固守しているものは家内安全・商売繁盛という現世利益欲求及びそのためのノウハウやエトスであり、その日本人が表面だけで追随するのは世間の風向きであり、「空気」なのだ。
世間の風向きを読んで、くるくる変身を続けるのに邪魔になるのが知性と知性の産物である整合的な世界観だから、日本人は、自分を身軽に保つために無知であることや無教養であることを恥としないばかりか、その反知性主義をむしろ誇りとするようになる。
斉藤環は、マイルドヤンキーのすべてを否定しているのではない。彼らにはバランス感覚があって、極端な排外主義や好戦性はないから、「次世代の党」を惨敗させているという。
彼らの取り柄がそんなところしかないとしたら残念だが、今のところはその辺を希望の灯とするしかないのである。