海も暮れきる(2)
帰国した尾ア放哉は、妻に告げたように懺悔奉仕団体として有名な「一燈園」に入所し、他家の便所掃除などに励んだ後に放浪生活に入った。そして、いくつもの寺院に雇ってもらって寺男になっている。しかし、結核を病んでいる身では、寺男になって墓穴を掘ったり、寺の雑用に追い回されたりする生活を続けることは困難で、ここでも彼は次々に職を失っている。
放哉は、故郷の親戚に見放され、会社員として失敗し、寺男にもなれなかった。彼に残されたのは、俳句同人誌「層雲」の知友に頼って生きることしかなかった。
「層雲」を主催する荻原井泉水は、第一高等学校、東京大学時代を通して放哉より一年上級の先輩兼友人だったから、放哉の窮状を知って井上一二に相談するように助言してくれた。井上一二は「層雲」の同人であり、小豆島で代々醤油製造業を営む名門の当主だった。
放哉は、深山幽谷には体がしめつけられる怖れに似たものを感じるが、海を見ていると、温かく抱擁されているように感じる性格だった。それは、彼の内部に自殺願望が潜んでいるためで、いざとなったら、酒を飲んで、海の中に歩いて行けばよい、そうすれば静かに死ねるはずだと思っていたのである。暖かな海に囲まれている小豆島が、彼には格好の死に場所と感じられたのであった。
島に渡った放哉は、井上一二の仲介で西光寺奥の院の小さな庵に入ることが出来た。西光寺の住職宥玄は学識のある寛容な僧で、放哉は小豆島で、この宥玄と井上一二に肉親も及ばぬ手厚い保護を受けている。
それでも彼は、出来るだけ一二と宥玄の厄介にならないように心懸けて生きて行こうと思った。そのためには、節食を心がけて出費を抑えるしか方法はなかった。
彼は、九月一日から「入庵食記」をつけはじめている。それによると、毎日、放哉は焼米、焼豆、麦粉にラッキョウと梅干を食べるだけで、番茶をしきりに飲んでいる。焼米と焼豆は硬くて歯の悪い放哉には少ししか食べられず、そのため日がたつにつれて彼は、立ち上がると目がくらみ、頭痛に悩まされるようになった。
しかし、庵にとどまるにはそのような苦しみに堪えることが必要だった。断食に近いような食生活を続ければ、当然、肺病に悪影響をあたえ、死期を早めることになるだろうが、それはむしろ望ましいことだと彼は思うことにした。
時々、一二や宥玄のところから庵に料理が届けられたが、それを食べた翌日になると料理が胃にそのまま残っているらしく腹がひどく脹って痛んだ。結核菌は腸を傷めているらしく、頑固な便秘が直ったと思うと、そのあとは激しい下痢がつづくのである。それに、咳と痰が激しく、胸が裂けそうであった。
咳が連続的に襲って来ると、彼は畳に手をつき堪えていたが、嘔吐感がつき上げてきて胃液が口から流れ出る。かれは、二包み五十銭で買った咳止めの薬を飲んでみたが、咳はやまない。夜も眠れず、息苦しかった。それに、慢性化した便秘がさらにつのり、塩水を飲んでトイレに行き長い間しゃがんでいたが、足は痺れるばかりで便が出ない。これでおれもいよいよ死ぬのか、と思うと、熱いものが目ににじんで来た。
金品を届けるために庵にやってくる寺の小僧が、放哉の様子を和尚に告げたらしく、ある日、小僧が宥玄の封書を持って庵にやって来た。「こちらで医者に連絡をしておいたから、直ぐに町の医者に行って診察を受けるように」という内容の手紙だった。
医者は診察してから、「左の肋膜が全部癒着しているようです。安静にして滋養のあるものを食べなければいけない」と注意して咳止めの薬を出してくれた。胸算用してみると、医師への支払いと滋養代に七円ほど必要らしかったが自分にはそんな金はなかった。これで、また、友人や後輩に借金しなければならないなと放哉は嘆息した。
小豆島に来てから、彼は「層雲」で知り合った知友に毎日のように金をせびる手紙を出していた。借金を依頼するだけでなく、ウイスキーを送ってくれとか、外国たばこを呑みたいとか、わがままな要求を持ち出すこともあった。放哉の親戚は、度重なる借金の要求にうんざりして放哉との交わりを断ってしまったのだが、このぶんだと今度は「層雲」の仲間からも縁を切られそうだった。
そんな中で、イヤな顔をせずに放哉の頼みを聞いてくれるのが、近所に住んでいる岡田という石屋だった。放哉は日に数通、仲間への手紙を書いていたが、彼にはこれを投函するために郵便局に出かける体力がなくなって来ていた。それで、彼はその仕事を日夜墓石を彫り続けている岡田に頼んでいたのだ。岡田の女房は全盲で、夫婦の間の一人娘も半ば目が見えなかった。
放哉の体力が更に衰え、岡田のところへ出かけるのも大儀になると、庵の裏に住んでいる漁夫の夫婦が面倒を見てくれるようになった。おかみさんのシゲは子供がいないこともあって朝早くから庵にやって来て、一日中放哉の面倒を見てくれた。最早、寝たきりの状態に近くなった放哉の大便を採るためにブリキの便器を尻の下に差し入れたり、寝たままで尿をさせる為に徳利を探して持って来てくれたりした。シゲ夫婦は自身の生活を犠牲にして放哉の面倒を見ながら、一銭も要求しなかった。
放哉の衰弱ぶりは目を蔽いたくなるほどだった。全身の肉がなくなり、彼の体は骨の上に一枚の薄い皮膚をかぶせたようになった。内科医をしている彼の俳友が、毎日定期的に体温を測って知らせてくれと言って体温計を放哉のところに送ってきたけれども、それを腋の下に挟んでも体温計は肉がないために直ぐ下に落ちてしまって体温の測定が出来ない程だった。
結核が進行すれば、腸が犯され、咽が侵蝕されて喉頭結核になる。喉頭結核は肺結核の最終症状であり、ここまで来れば患者は死を覚悟するしかない。放哉の咽に疼痛が続くようになり、彼はもう食物を取ることは出来ず、声も出しにくくなった。
宥玄も最後の時が来たことを悟って放哉に話しかけた。「どうですね。身寄りの人に伝えては……」
放哉の顔がゆがんだ。「報せる者などいません」「親類がおありでしょう」「そんなものはすかんですよ」「そうはいきません。人間には、もしもということがある。その時に報せる先を聞いておかねば、シゲさんをはじめ私たちが困る」
「シゲさんにはお世話になるばかりで……」放哉はつぶやくように言うと、肩をふるわせて泣きはじめた。泣き声がしずまり、放哉がロを開いた。宥玄は、筆をとると放哉の口からためらいがちに洩れるか細い言葉を紙に書きとめた。
「すっかり春になりましたし、体にもいい影響があるでしょう。元気を出して下さいな」宥玄は、紙片を袂にしまいながら放哉の顔を見つめた。放哉は、宥玄に顔を向けると、「私は、この庵で一人ひっそり死にたいのです。なるべく小倉に電報など打たないで下さい」と、涙ぐんだ目で言った。
放哉は今は縁が切れている近親のものらに死に水をとってもらいたくないし、死顔をさらしたくもなかった。かれらに知られることもなく、ひっそりと庵で死を迎え、土中に埋められたかった。墓などもいらず、犬猫の死骸のように無造作に土の穴に投げこんでもらえれば十分だった。ただ、彼は、妻の馨の写真だけは手許に置いておきたかった。(つづく)