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海も暮れきる(3)

2015/4/1(水) 午後 5:31
 海も暮れきる(3)
 それから間もなく放哉は死んだ。シゲが急を知らせに宥玄のもとに急いでいる間に、彼はシゲの夫の胸に抱かれて息を引き取ったのである。
 宥玄らが湯灌をして放哉の遺体を棺桶に納め、葬式の準備を完了した夜、宥玄の寺に一人の女が訪ねてきた。危篤を知らせる宥玄の電報を見て駆けつけてきたらしかったが、宥玄の目には彼女が放哉の妻には見えなかった。放哉の妻ににしては若すぎ、美しすぎたからだ。吉村昭は書いている。<宥玄は、女の姿を見つめた。妖艶な美しさにみちた女であった。背が高く、豊かな体が着物の線にあらわれている。ふくよかな気品のある顔立ちで、驚くほど色が白い。髪は黒々としていて豊かで、生え際が匂うように優雅な線を措いている。年齢は三十歳前後にみえた。宥玄は、女が放哉とどのような血縁関係にあるのか、と思った。
 「お妹さんですか」と、たずねた。女は顔を伏し、少し黙っていたが、かすかにうなずいた。(「海も暮れきる」)>
 
 宥玄は、暗い夜道を案内して女を庵まで連れて行った。女は直ぐには庵の中に入らず、ただ雨露を凌ぐだけというような貧しい建物をじっと見ていた。促されて庵の中に入っても、身をすくめるようにして土間に立っていた。
 再び促され、白い足袋を見せて板の間に上がってからも 、脅えたように部屋の入り口に立ったままでいる。が、突然、女の口から叫び声にも似た泣き声が吹き出し、顔を蔽って畳に膝をついた。思いも寄らぬほど激しい泣き方だった。
 宥玄は、女の異常なほどの泣き方に呆気にとられ、女の姿をながめた。粗壁にかこわれすり切れた畳の敷かれた庵に、豊かな髪をし上質の着物を着た女が不釣合にみえた。宥玄は、放哉にもこのような激しい嘆き方をする身内の者がいたのかと思うと、少し救われた気持になり、女に対する非難めいた感情も幾分やわらぐのを感じた。
 
 「お別れを……」と言われて、女は、うなずくと体をふるわせながら棺桶に近づいた。遺体は、背を棺の内壁にもたせかけて坐っている。
 女が口と鼻にハンカチを当て死顔を見つめた。放哉の眼窩は深くくぼみ、頬骨は突き出し、鼻梁が細い。女は、再び棺の傍で膝をつくと声をふりしぼって泣いた。宥玄の胸に、ふと女は放哉の妻なのではないか、という思いがよぎった。その嘆き方には、妹が兄の死を悲しむものとは異り、肉体的にむすばれた者のみが見せる深い慟哭があった・・・・・
 
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 「海も暮れきる」をここまで読んでくると、尾ア放哉に関するイメージが一変するのである。
 それまで人々の脳裏にあった放哉は、良寛を思わせるような脱俗の求道者であり、保険会社の重役という地位を弊履のように捨て、小豆島に隠棲して俳句を作り続けた天性の詩人だった。庵主としての彼の生活は貧しくはあったが、何者にも制約されない自由な日常が彼に純金のような幸福をもたらし、彼は珠玉のような俳句を作りつづけながら天寿を全うした。
 ところが吉村昭の描いた現実の放哉は、小豆島に移ってから一年とたたないうちに肺患を悪化させ、無残な死に方をしているのだった。彼は苦痛を和らげるために自ら太股への注射を続けていた。だが、股の肉が落ちてしまっているので注射液は散ることなく、そのまま紫色の瘢痕を残して皮下の注射された場所に留まり続けた。そして、最後になると、彼は目が見えず、言葉を発することも出来なくなって、苦悶のうちに息絶えている。
 放哉が小豆島に移ったのも、あちこちに不義理を重ねて、そこにしか生きる場所が無くなったからであった。彼は脱俗の求道者でもなければ、純粋無垢な詩人でもなかった。自らの俗物性に生涯苦しんだ哀れな人間だった。
 「海も暮れきる」の作者は、世評とは異なる放哉の実像を知ったから彼に関心を持ち、この本を書いたのだし、渥美清は「海も暮れきる」に描かれた尾ア放哉を愛したから放哉を主役にした映画を作ろうとした。日本人が、放哉や山頭火、あるいは乞食井月を愛するのは、彼らが弱い人間であり、弱いながらにしぶとく生き、ふと吐息のようにもらす彼らの俳句が弱いわれわれの共感を呼ぶからなのだ。