甘口辛口

「依存症者」の人生(3)

2015/5/6(水) 午後 8:41
「依存症者」の人生 3

月乃光司は、アルコール依存症者の「自助グループ」に加入することによって救われたのだが、最初はこのグループでも劣等生だった。グループのメンバーは、皆、自らの体験を率直に語るのに、彼だけは発言を促されても「死んでしまいたい」というばかりだったのだ。

一年半以上そんな態度を続ける月乃に、ある日、50代前半のMさんという男性が声をかけてきた。

「どうかね、そろそろ棚卸しをしたら」

 「棚卸し」というのは今までの人生の洗い直しをすることで、生まれたときから現在までの出来事を個条書きにして、それを人に読んで聞かせることが、自助グループのプログラムの一つになっていた。

 「徹底的に正直にやってみたらどうかね。思い出したくない、というようなことも思い切って書いてみるんだよ」

月乃は、ちょっと引っかかるものを感じたが、ただ、もう信じられるものは自助グループの仲間しかいなかったので、言われた通りにやってみようと思った。初冬の夜、彼は書き上げたノートを持って、Mさんの家に出掛け、Mさんと向かい合って座り、ノートを読み始めた。小さな白い猫が近づいてきて、Mさんの膝の上に乗った。

飲酒により失敗をしたこと、性的におかしくなったこと、現在でも、どうしても人前では言えないことが何点かあることを率直に語った。声が震えた。彼が読み終わると、Mさんはニッコリと笑った。

「正直に話せたあなたは強い人です」

彼は満ち足りた気持ちになった。性格上の欠点が以前より見えてきたこと、必要のないプライドが無くなつたことなどいろいろなことを「棚卸し」によって得ることができたのだ。

Mさんの家を後にして、彼は自宅まで歩いて帰った。夜空に月が浮かんでいた。「こんな自分でも生きていていいんだ」彼は不思議な自己肯定感に包まれていた。

「棚卸し」をした数カ月後に、Mさんが「今度は『埋め合わせ』をしよう」と言ってきた。「埋め合わせ」とは何のことだろうか?・・・・・「あなたが傷つけた人をノートに書き出してみよう、そしてその人たちに謝罪と償いをすること、それが『埋め合わせ』です」と、Mさんは言った。彼は途方に暮れてしまった。Mさんは「一番傷つけたのは実は自分自身なのです。まずは一行目に自分の名前を書いてみよう」と言ってくれた。

彼は自分を傷つけてきた。カッターナイフで手首を切った。食事も取らずお酒を飲み、体を傷め続けた。お酒をやめて食事を規則正しく取ること、生活を楽しむこと、そんなことが自分への「埋め合わせ」になるかもしれない。

彼は一行目に自分の名前を書いた。それから、父母の名前、結婚した二人の姉の名前、上の姉の義父の名前を書いた。そして、まず義父の自宅にいった。彼が多量服薬による自殺未遂をして倒れているところを義父が病院に運んでくれた。入退院時にも車で送っくれた。彼は、さまざまな迷惑を義父に掛けてきたのだ。

義父の家では、ごちそうを用意して彼を待っていた。彼が謝罪をすると、義父は「光ちゃんが、元気ならば何より」と笑ってくれた。

つづく