「依存症者」の人生(2)
月乃はアルコールへの依存が強まるにつれて、世の中からうとまれている感覚に襲われることが多くなっていた。周りのすべてが自分に悪意をもっているような感じがする。
そうした漠然とした不安は、酒を飲むと一時的に治まった。しかし、依存症の症状が進行していくと、飲んでいる最中も、そうした感情を引きずるようになった。酒を飲むとよみがえってくるのは過去の栄光なのである。あんなすばらしい過去があったのに、今の自分がこんなにも、みじめでふがいないのは、あの人がいたから、酒を飲まずにいられないのは、あの人が自分にあんなことを言ったからだといった具合に、自分で勝手にストーリーをつくり、何年も前に別れた女性やお世話になった人、家族に対して怒りの感情をつのらせるようになったのだ。
そうした自分の曲解を日々何度も何度も反芻していると、それはやがて恨みの感情を呼び起こし、酔っぱらいながら、恨みつらみを大声で叫び、大暴れをし、ものに当たり散らしはじめた。
こうした怒りや恨みの感情が向かった相手はすべて、月乃が頼りにしていた人、つまり依存していた人たちであった。彼らは何もわるいことはしていない。むしろ、彼を救おうとしてくれた人、彼にとってかけがえない人たちだった。そうしたおかしな言動が落ち着くまでに、月乃の場合は三年かかったという。
月乃と対談した西原理恵子は、実家に帰って引きこもっていた頃、彼は具体的にどんなふうだったのかと尋ねている。これに対して月乃は「よく覚えていないんですが、実家の壁は穴だらけです。やり場のない怒りと恨みで、けりまくっていたようです。アルコール依存症になると、恨みの感情が特に高まるんです」と答えている。
それを受けて西原理恵子もこう言っている。
「鴨ちゃん(西原の夫)も、毎日<あいつさえいなければ、あいつさえいなければ、あいつさえいなければ>と呪文みたいに唱えていました」
感情のすべてが惜しさと恨みになっていくのは、アルコール依存症の特徴のひとつだと月乃はいう。こんな酒ばかり飲むふがいない自分になったのは、あいつがいたからだとストーリーができあがってしまって、それを何度も何度も、思い返すのである。そして、それはどうやって相手に社会的制裁を与えてやろかという思考につながっていく。
三回目に月乃が入院したきっかけは、父親と喧嘩したからだった。息子が仕事もせずフロにも入らず、ただただ部屋の中に引きこもり、朝から晩まで酒を飲み続けているのを見かねて、ふだんはおだやかな父親が声を荒げて月乃を叱りつけたのだ。母親はずっと息子を入院させたがっていた。
入院をしたが月乃には、病気を治そうとか、元気になってやがて社会復帰しようとか、そんなことは少しも考えられなかった。だが病院の医師は、まだ二十代で若いのだし、これから生活を立て直すことは十分できるといって、アルコール病棟に入ることを勧めた。そこにいるのはだいたい四十代以上の中年者ばかり。月乃がいちばん若かった。
そこで彼は死というものに直面したのであった。
朝六時に起きると、夕べあの人が死んだ、今朝方この人が死んだという情報が入ってくる。家族からも見放され、だれにも相手にされぬまま、独り病院の片隅で死んでいく。あんなに死ぬ死ぬと大騒ぎしていたのに、月乃は本当に死にたいと思っていたわけではなかったのだ。こんな死に方はしたくない。いや、生きたいんだ。仲間の死んでいくのを間近に見たことで、月乃はようやく死というものを実感し、自分を見つめ直すことができたのである。彼は治療を受けてこの病気を治したいと心底そう思った。
では、月乃はいかにしてアルコール依存の地獄から抜け出すことが出来たのだろうか、そして、自分だけでなく「依存症者」に再生のヒントを与え、病者にとって導きの星にまでなることが出来たのだろうか。
(つづく)