甘口辛口

飯島愛の孤独死

2008/12/27(土) 午後 9:15
<飯島愛の孤独死>


飯島愛については、「ロンドン・ハーツ(?)」という番組を見るまで知らずにいた。だが、PTAがこの番組を最悪の番組と名指しで告発したことに興味を持ってチャンネルを合わせてみたら、このタレントがいたのである。

当初は、飯島愛について格別の印象もなかった。が、彼女がタレント業を引退することになったとき、そのお別れ番組を見ていて「おや」と思ったのである。その場にいたアナウンサーやタレントたちが、本当に彼女との別れを惜しんでいたからだった。その場を仕切っていた男性アナをはじめ、女性タレントたちが揃って涙を流していたのである。

皆からそんなに愛されていながら、彼女は何をするつもりでタレントを引退するのだろうか。タレントの中には、あまり売れすぎて疲れ果て、生活を一新するために廃業するものもいる。しかし、しばらくすると、彼女らはまた、ノコノコとTVや舞台に戻って来るのだ。一度、脚光を浴び華やかな暮らしをした女性にとって、もう平凡な生活には耐えられないらしいのである。私は涙、涙のお別れ番組を見ながら、飯島愛というタレントも、やがてまたバラエティー番組に戻ってくるのではないかと思った。

その彼女が、高層マンションの自室で死んでいたこと、そしてそれが一週間も人に知られずにいたのは、確かに驚くべきことだったが、もっと私を驚かせたのは、やはり多くのタレントや知名人が心から彼女の死を惜しんでいることだったのである。

飯島愛は、どうしてこんなに多くの人間から愛されていたのだろうか。

彼女は誰にも気さくに声をかけて、いろいろと心遣いを見せてやっていたという。それが皆から愛された理由だとしたら、どうして彼女はそのような他者への気遣いを見せる女性になったろうか。

今度、初めて知ったのは、飯島愛が中学、高校の頃からグレはじめ、家出をして男と同棲していたという事実だった。彼女は自伝風の小説のなかで、男の友人からレイプされたことを記し、その後、契約金目当てにAV女優になり、整形手術をしたことなどを書いているという。彼女はTバック姿でも知られていたそうである。

そういう過去を持ちながら、テレビ映画に出演するようになった彼女は、普通ならば、「汚辱の過去」を隠そうとするはずだが、そうしなかったばかりか、自らの過去を本にして出版している。

ひとが本能的に隠そうとする過去や欠点を、平気で口にする人間がいる。自分のマイナス面をお笑いぐさにする人間は、不思議と友人たちに愛される傾向がある。人間を井戸のようなものにたとえるとしたら、表面はきれいに澄んでいるように見えても、掘り下げて行けばその底に欠点や弱点、失敗や誤りで形成された砂利の層のようなものを持っている。

自分が隠そうとしている欠点を平気でおおぴらに公表する者を見れば、まわりの人間は救われたようなリラックスした気持ちになる。自分も同じ欠点を持っているからだ。自分の欠点を率直に語るものが、皆に愛されるのはこのためだ。

わが身の欠点をさらけ出して、まわりの人間をリラックスさせた側は、もっと大きな功徳を得ている。彼は自らの欠点を語りながら、人々もまた自分と同じ欠点・弱点を持っていると感じている。彼は周囲にいる知友を、その点で自分の同志だと感じているのだ。

自分の欠点を知り、他者もまた同じ欠点を持っていることを知るということは、人間一般の実相を知ることであり、「事実唯真」の世界に触れるということだ。人は事実そのものの世界に触れたときに、その世界を全的に受容する。人間全体への愛というようなものは、自分も他人も、欠点や弱点、失敗や誤りで形成された砂利の層のようなものを共通して持っていることを知ったときに生まれる。愛の世界は、この砂利層の向こう側にあるのだ。

飯島愛が周囲の人々に見せた思いやりには、宇宙愛に通じるものもあったけれども、まだ十分とはいえなかった。彼女と一緒に仕事をしたある人物は、「飯島愛の視点はほかのタレントとは違っていた」と語っている。人生を斜めに見ていたというのである。

若者のなかには、思いついたことを行動に移してみないと落ち着かないという者たちがいる。彼らは、自己感を追求し、満足感を求め、ふと湧いてきた着想を極限まで実行してしまう。飯島愛にもそうしたところがあって、母親の嘆きをよそに高校生の身で男と同棲し、金に詰まってくるとAV女優になったりした。

彼女が自伝を出版したのも、仕事仲間にこそこそ陰口をされる前に、自分からすべてをぶちまけてやるという思いからだったろう。

タレント業を引退する意志を固めたのも、極限行為の一例だと思われる。体調不良で仕事に穴を開けそうだったら、出番を減らせばいいのである。だが彼女は、エイ!とばかりに引退してしまうのである。

こうなったのも、親への反発から家出をしたことが背景にあるように思われる。家を飛び出した為に彼女は根無し草になり、手応えを求めて極端から極端へと移り動くしかなくなったのではないか。

彼女はブログで手持ちの金が減って行く不安を語っていたらしい。彼女は引退して収入が減ったのに、高層マンションで暮らし続けていた。

昔、原節子という大女優がいた。
彼女は中年になって引退したが、移り住んだのは湘南にある木造平屋の小住宅だった。飯島愛にも、こうした思慮があればよかったのである。