甘口辛口

宇宙体験(2)

2006/9/7(木) 午前 5:38
立花隆がインタビューした宇宙飛行士は、そのほとんどすべてが空軍に籍を置く軍人だったから、軍関係の学校を卒業していた。そして又、彼等は例外なしに大学の理工学部を出てもいた。こうした宇宙飛行士たちが、人文系の学問に無知だったこと、そして内面的な問題について最初から無関心だったことは容易に想像がつくだろう。

彼等は精神的な問題に無関心だったように、国際問題についても紋切り型の意見しか持っていなかった。時代は東西冷戦の真っ最中だったから、彼等はソ連に対して激しい敵意を燃やし、第三次世界大戦が始まったら先頭に立って戦う決意を固めていた。宇宙飛行士は揃って頭の固い単純人間だった。そうした人間でなければ、部内での激しい競争に勝ち抜いて宇宙飛行士に選抜されることは不可能だったのである。

アイズリも、そうした頭脳明晰な単純人間だったから、金儲けにも熱心だった。ある有望株を思惑買いしている最中にアポロ7号で宇宙に打ち上げられてしまった彼は、ヒューストンの基地にいて宇宙船との連絡役を受け持っている友人に頼みこんで株価を毎日知らせて貰っている。基地と宇宙船との連絡内容は記者室にそのまま流れるので、彼はその情報を暗号によって知らせて貰ったのだった。

こういうアイズリが世俗的な野心を棄てて、いわば「老子的人生」「聖書的人生」を送るようになったのである。これだけでも驚くべき変化だったけれども、彼は国際問題についても、これまでとは全く違う意見を抱くようになった。

彼は、立花隆にこう語っている。

「眼下に地球を見ているとね、いま現に、このどこかで人間と人間が領土や、イデオロギーのために血を流し合っているというのが、はんとに信じられないくらいバカげていると思えてくる。いや、ほんとにバカげている。声をたてて笑い出したくなるほどそれはバカなことなんだ」

そしてアイズリは、こう語るのだ。

「地球にいる人間は、結局、地球の表面にへばりついているだけで、平面的にしかものが見えていない。平面的に見ているかぎり、平面的な相違点がやたらに目につく。地球上をあっちにいったり、こっちにいったりしてみれば、ちがう国はやはりちがうものだという印象を持つだろう。風土がちがうし、住んでいる人もちがう・・・・・・どこにいっても、ちがいばかり目につく。

しかし、そのちがいと見えるすべてのものが、宇宙から見ると、全く目に入らない。マイナーなちがいなんだよ。宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。表面的なちがいはみんなけしとんで同じものに至る。相違は現象で、本質は同一性である。地表でちがう所を見れば、なるほどちがう所はちがうと思うのに対して、宇宙からちがう所を見ると、なるほどちがう所も同じだと思う。

人間も、地球上に住んでいる人間は、種族、民族はちがうかもしれないが、同じホモ・サビュンスという種に属するものではないかと感じる。対立、抗争というのは、すべて何らかのちがいを前提としたもので、同じものの間には争いがないほずだ。同じだという認識が足りないから争いが起こる」

それから、彼は宇宙体験によって得た独特の歴史観を披瀝する。

「・・・・・考えてみれば、ネイション・ステイト(民族国家)の時代は人類史においてたかだかここ三、四百年のことにすぎない。これはもう世界の現状にてらして、アンシャン・レジーム(旧体制)になっている。ネイション・ステイトは産業革命が生んだレジームで、いま現に進行している、アルビン・トフラーのいう第三の波≠ェ進行していけば、くずれざるをえないレジームだ」

こうして彼の意見は次第に「危険思想」の匂いを放ち始め、最後にその話は世界政府のイメージをもって終わるのである。

「結局、いまの世界は、アメリカでもソ連でも、あるいはその他の国でも、アンシャン・レジームのヒエラルキーの上に乗った人々が支配して動かしている。この人たちは、アンシャン・レジームを守るという点では利害が一致しているから、協力しあって必死になって古い秩序、ネイショソ・ステイトの秩序を守ろうとしている。そのために用いられているのが、我がネイション・ステイトの人間はいい人間で、相手方のネイショソ・ステイトの人間は悪い人間であるという、共通した神話だ」

宇宙船に乗り込む以前のアイズリからは、想像もつかないような考え方を抱くに至ったのである。
(つづく)