甘口辛口

勇往邁進する安倍晋三

2006/9/29(金) 午後 4:58
今はほとんど使われなくなった言葉に、「勇往邁進」という言葉がある。この言葉は、旧制中学での軍事教練の際、配属将校の口からしょっちゅう聞かされたし、軍隊に入ったら、そこでもよく耳にした。敵を前にしてひるんではならないという趣旨から、この言葉は軍隊用語のひとつとして戦争中に盛んに愛用されたのである。

「勇往邁進」という言葉は、戦後に軍隊がなくなってから一般に使われなくなった。だが、戦後になっても、この心意気を持続したまま生きているグループが存在した。私は戦後になっても、なお皇国史観を棄てない「反動的な人間」をいろいろ見てきたが、一番救いがたいと思ったのは敗戦時に士官候補生、少尉、中尉だった勇往邁進型の男達だった。

彼らは戦争が終わって10年たっても、白人を「毛唐」と呼んで蔑視していた。マッカーサーも進駐軍も、日本を訪ねてくる外人旅行客も、すべて「毛唐」なのだ。胸を張って「毛唐」という時の彼らは、意気軒昂としていて、いかにも幸せそうだった。そして、仲間と一緒になると、「ドイツ人に会ったら、今度はイタ公抜きで、もう一遍、やろうぜと言っていた」というような話を好んでしている。

日本がボッダム宣言を受諾して降伏しようとしたとき、これに反対して天皇の「玉音放送」用録音盤を奪い取ろうとしたのも、この手の青年将校達だった。彼らは、戦局がいくら不利になっても、「死中に活を求め」て突進すれば何とかなるはずだし、よしんば神風が最後まで吹かず、一億玉砕の羽目になったとしても、それはそれでいさぎよくていいではないか、と考えていた。

彼らが、こんな途方もない馬鹿者になったのは、若手士官として苦労知らずの恵まれた立場にあったからだ。戦争末期の日本人は、食うものに事欠き、口を糊するために食料の買い出しで疲れ果てていた。だが、軍隊にいるかぎり彼らは飢えることがなかった。三度の食事を当番兵が盆に載せて運んできてくれたのである。

それに彼らは、本土決戦要員で内地にいたから、実戦がどんなものか体験したことがなかった。そこでアメリカ何するものぞ、白兵戦になったら一撃の下にやっつけてやると自信満々だった。苦労知らず、世間知らずのお坊ちゃん、これが彼らの正体だったのだ。

安倍晋三の言動を見ていると、勇往邁進型の青年将校が思い出されるのだ。彼は政治家を「反対にあっても屈しないタイプ」と「反対にあうと妥協するタイプ」に分け、自分は前者だと胸を張って宣言する。まさに「勇往邁進型の政治家」なのである。思慮の足りない勇往邁進型青年将校が、夜郎自大の愛国主義者を気取ったように、安倍晋三も夜郎自大の国家観を振り回して人気を博している。

若い世代が安倍晋三を支持するのは、フリーターだとかニートだとかいわれながら、彼らが基本的に苦労知らず・世間知らずの坊ちゃん嬢ちゃんだからだろう。彼らは靖国問題で抗議する中国・韓国を、小泉前首相がはねつけたことに拍手喝采をする。歴史問題では、自国の非を認める歴史より、日本の正当性を強弁する軍国史観に肩入れする。対外政策でも何でも、自分たちの自尊心を傷つけない、自分たちにとって気持ちよく思われる方を支持するのだ。

戦争が終わって10年たっても、外人を「毛唐」呼ばわりして粋がっていた元青年士官達も、何時となく姿を消してしまった。夜郎自大の愛国者達が何時までも存在し続けるかどうか、これも保証の限りではないのである。