甘口辛口

安吾のはなし(2)

2006/10/5(木) 午後 0:00
坂口安吾は青春期に悟りを求めて苦心惨憺したという、では、その結果彼は何を得たろうか。悟りは、果たして得られただろうか。

この問いへの回答と思われるものが、小林秀雄と対談した安吾の発言のなかから発見されるように感じる。安吾は、小林秀雄が規矩にとらわれた息苦しい生き方をしていると批判した後でこう言っているのだ。

「人生とは、つくるもの、つくらねばならぬものだ。小林さんは、その手前に止まったんじゃないかな」

「五十年しか生きられない人生というものは、僕は決して規矩に近づくためのものでも真実を発見するためのものでもなくて、何か作るところのあるものだと思うんだよ。文学も人生と同じものだと思うんだよ」

「恋愛でも何でも、人生が作らなくちゃならないものなんだ。自分勝手にさ。自分の一番いいように作ってゆかなくちゃならないものだ」

人は子供の頃に「かく生きるべし」とまわりから刷り込まれた人生をなぞって生きて行く。そして規矩に従ってお仕着せの生涯を送り、満足して死んでいく。安吾は、こうした世間並の人生を唾棄して、自分にとって一番具合の良い人生を構築し、自己本来の願望を実現しつつ生きていこうと決意し、作家としても既成の文学に反逆し、自分にとって一番ぴったりした、一番好ましいスタイルの文学作品を作ろうと考えた──これが安吾の到達した「悟り」ではなかったかと思われるのである。

では、彼が生み出そうとした文学作品とは何だろうか。「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」を描いた作品なのだ。「白痴」も「桜の森の満開の下」も、人間の絶対的な孤独を描いた作品である。

だが、安吾の名声が高くなるとともに、独自の人生を創造することも、ユニークな作品を創作することも次第に困難になっていった。有名になるにつれて、現実との接触面が増え、それに応じて世俗と衝突する頻度が増えたのだ。税務署と喧嘩し、競輪の不正を暴き、出版社といざこざを起こすなど、彼の引き起こすトラブルが多発するようになる。

原稿の注文が殺到するにつれ、作品の方も荒れ始める。安吾の文章から力感が失われ、ちょっと難しい漢語でも文字を思い出すのが面倒なので、カタカナで代用するようになる。作品の荒れ始めた原因を睡眠不足のせいにした安吾は、睡眠薬を常用するようになり、服用量を次第に増やして行った。

アドルムをジンで飲めばぐっすり眠られる。しかし、目覚めると、頭がぼんやりしてペンを取る気になれない。そこで眠気を振り払うために覚醒剤を服用する。こんなことを繰り返しているうちに、アドルムの服用量は急増して日に50錠になった。
壇一雄は当時の安吾について、こう記している。

「ひっきりなしに鼻水を垂らしてちり紙で拭っては捨てる。ジンとアドルムを交互に飲んで、その陰欝な声はブルブルと周りにふるえるのである。

足の裏に巨大な灸をすえていて、その灸が半分化膿しかかっていたことも覚えている。
「こいつは効くね。檀君、天元の灸だよ」
安吾はそんなことを言って笑っていたが、その空漠な笑い声は、まるで陰惨な天地の悪霊を呼び寄せるように感じられたものである。

そう言えば、太宰治にも、同じような、沈欝にのめり込むような時間があった。しかし、太宰の場合は、女々しく泣く。それに体力が雄健でないから、あばれると言ってもたいしたことではない。安吾の場合、並はずれた腎力だから、ハタで押えようがないのである」

壇一雄は、おなじ回想記に安吾が妻に命じてカレーライス百人分を注文させ、自分のまわりにずらりと並ばせたことも語っている。

坂口安吾は、世俗の中にあって世俗に毒されない独自の人生を創造しようとした。水の中に入ってぬれない自分を実証しようとしたのだった。だが、彼は刀折れ矢尽きて破滅した。

安吾を愛する読者にとって、彼は世俗との戦いに敗れた戦死者なのである。だから彼のために流す涙は、哀悼の涙なのだ。

私が知っている「安吾のはなし」は、これくらいでしかない。この基礎的な知識を出発点にして、安吾全集を少しずつひもといて行きたいと目下考えているところなのだ。