甘口辛口

ネコとのつきあい

2006/11/10(金) 午後 9:11
坂口安吾の全集を読んでいたら、面白い記事にぶつかった。私はこれまで安吾後期の作品を敬遠して読まずにいたのだが、今度、全集を手に入れたのを機会に後期の作品から読むことにしたのだ。そしたら、この面白い記事にぶつかったのである。

安吾は競輪の不正を暴く「競輪闘争」を始めてから、暴力団につけねらわれているのではないかという被害妄想に襲われるようになった。それで伊東にあった自宅を引き払い、最初に大井広介、次に壇一雄の家に避難した。問題の記事は、彼が壇一雄宅に寄寓していた頃のことを記した「安吾行状日記」のなかにあるのだ。

――夜の11時近くだった。壇家の家族全員が眠り、安吾の隣りで夫人も眠り、目を覚ましているのは家中で安吾一人という状況になった時に、隣室でがりがり襖をひっかくような音がしたのだ。近眼の安吾が眼鏡をかけて眺めると、襖が少し開いて、その向こうに壇家で飼っている黒猫がじっとこちらのようすをうかがっているのが見えた。

安吾は立ち上がって襖を閉めてから、隣に寝ている夫人を揺り起こした。
「オイ。黒ネコがフスマをあけたぜ」

夫人は薄目を開けて、
「そう。化けネコねえ」
と言ったきりで、また、眠ってしまう。

黒猫の襲撃はその後も続く。安吾が何度襖を閉めても、しばらくするとネコがまた襖を開けるのだ。こうしたことが翌朝の5時半までつづき、安吾はすっかいり疲労困憊してしまった――

この記事がどうして面白かったかというと、安吾が体験したと同じようなことが私の家でも起きているからなのだ。

家の庭に白黒まだらのネコが現れるようになったのは春先のことで、以来ずっと彼は毎日のようにわが家にやってくるのである。ネコは、まだ若く少年期にあるような感じで、体つきもほっそりしている。

毎日のように庭にやってくるのはネコばかりではなかった。天竜川の河川敷に巣を作っているつがいのキジも連日やってくるから、ネコとキジが正面衝突することも起きる。すると、キジは激しく鳴きたててネコを追い払ってしまう。

そんなネコを哀れに思ったのか、家内が残飯を木皿に乗せて庭の片隅に置いてやるようになった。そしたらネコは、庭の残飯だけでなく、家に入り込んで台所の肉や魚をあさるようになったのだ。「これはたまらぬ」というので、戸締まりに気をつけるようになったが、それでも台所の被害はやまない(壇家の黒猫が、安吾の寝室に入ろうとしたのも、そこに酒の肴があることを知っていたからに違いない)。

「どうしてかな」
と首をひねっていると、家内がネコは玄関の引き戸を開けて入ってくるのだという。私は、まさかと思った。
「未だ一人前にもなっていないネコだよ、玄関の重いガラス戸を開けられるもんかね」

ところが、数日して玄関の方を見通す廊下を歩いていたら、玄関の戸がするすると20センチほど開くのが見えた。立ち止まって眺めていると、例のネコが体を戸の間に差し入れている。ネコは確かに自力で戸を開けて、家の中に入り込んでいたのである。

「こら」
とネコを追い払った後で、思い出したことがあった。私は、これまでネコの知能を見くびっていたけれども、以前に彼らの頭の良さに驚いたことがあったのである。

三人の子供を育てていた頃、わが家ではネコを一匹飼っていた。今では、どういういきさつでネコを飼うことになったか、思い出すことができないけれども、小学生だった長女がこのネコを非常にかわいがっていたことや、3才の末っ子がネコをオモチャにして手荒にいじり回していたことは覚えている。

末っ子は元気をもてあましている腕白な男の子で、ネコを見つけると尻尾をつかんで引き寄せ、まるでプロレスごっこをするようにひっくり返したり、押さえ込んだり、折りたたんだりするのだ。するとネコは、前足を伸ばして子供の顔をひっかくのである。

こうした光景を見ると、長女はもちろん私たちも末っ子を叱りつけてネコを引き離してやるのだが、子供とネコのプロレスは一向にやまない。そのうちに、ネコが子供の目をひっかいて、目がつぶれでもしたら大変だと心配になってきた。そこで私は家内と相談の上、長女には内緒で、ネコを捨てることにしたのだった。

私はダンボールの箱にネコを入れ、自宅から1キロほど離れた町はずれに持って行って捨ててきた。長女はネコを探して何日か近所を歩き回ったようだった。だが、そのうちに諦めてネコのことを口にしないようになった。彼女が割合早く諦めたところを見ると、ネコは子猫から育てたものではなく、偶然、家に迷い込んだものだったかも知れない。

一ヶ月ほどすると、驚くべきことが起こった。捨ててきたネコが、すっかり衰えて戻ってきたのだ。体は骨が浮き出るほど痩せこけ、毛は汚らしく毛羽立っていたが、確かに今まで家にいたネコに違いなかった。ネコが一番変わったのは、私たち家族に対する態度だった。もはや彼は長女にすら甘えることがなくなった。ネコ何時も殺気立っており、時に私たちにうとましそうな目色を見せるのである。

餌を出してやると、ちょっと食べただけで、そのまま何処かに姿を消してしまう。さすがに末っ子も、こういうネコには手を出す気にならないらしく、遠くから相手を見ているだけだった。ネコは数日間わが家の餌を食べ、それから本当に何処かへ行ってしまった。私たちがその後二度と彼の姿を見ることはなかった。

捨てたネコのことが頭に残っていたら、ネコにも犬並みの知能が備わっていると思い出せたはずであった。しかし、私はネコが玄関の戸を開けて入ってくるのを見るまでは、昔のことを何も思い出さずにいた。私は犬についてはなにがしかの関心を持っているが、ネコについては無関心に過ぎていたのだ。猫が好きな人間と犬が好きな人間は、DNAか何かの関係で先天的に決まっているというけれども、私は生まれつきネコに関心がないらしいのである。要するに、心ここにあらざれば、見れども見ずという訳なのであった。