甘口辛口

簡単生活

2006/11/27(月) 午後 3:18
戦争が終わって、暮らし向きが少しずつ豊かになってくると、われら男性には理解できないような不思議な現象が起きはじめた。女たちが、妙なものに夢中になり始めたのだ。その最たるものが、南京虫といわれる腕時計だった。

なぜ「南京虫」と呼ばれたかというと、女持ちの腕時計が小型化を競い始め、ついには南京虫を思わせるほど小さくなったからだ。小型化すれば、当然高価になるし、時刻も読み取りにくくなり、時計としての用を為さなくなる。にもかかわらず、あの頃の女たちは高くて役に立たない時計を買うために、なけなしの貯金をはたいたのであった。

戦後に女性が履くようになったハイヒールも、男たちには理解しがたい代物だった。成る程、あれを履けば少しばかり背が高く見えるかもしれない。だが、それも当人が思いこんでいるほどの効果はなく、あんなものを履いて、よちよち歩けば、ずんぐりむっくりした日本女の体型をますます際だたせるだけなのだ。

男性側からみて何とも不可思議な女性の欲求は、今も尚つづいている。スーパーで買えば2000円前後で買える手提げ鞄が、フランスから輸入したブランド品になると何万円というような価格になり、それを女たちは目の色を変えて買いあさっているのである。日本が豊かになればなるほど、こうした訳の分からないものへの女たちの情熱は燃えさかり、男たちを唖然とさせるのだ。

南京虫が全盛だった時代に、男物の腕時計をはめ、ローヒールの靴で歩き回る女性はごく僅かしかいなかった。大学で合理主義の洗礼を受けたはずのインテリ女性も、時計を買うときには躊躇せずに南京虫にしてしまうのだ。不合理な流行と戦うためには、合理主義的な思考や論理的な判断だけでは足りないのである。これに加えるにプラスアルファが必要なのである。

そのプラスアルファとは、非世間的人生観を持つことであり、それに基づいた独自の生活システムを持っていることなのだ。世間と対峙する生活態度を持っていないと、人は結局、流行に負けてしまうのである。

近年、息子や娘の結婚式は世間並みに行っても、自分の死については無葬儀にするように遺言する者が増えてきている。こうした遺言を残す者は、内心で世間の慣行に反発していた人間に違いない。内面で世間に対峙しつつ生きてきた人間だけが、純個人的な自己の死について習俗に反した遺言を残すことが出来るのだ。

問題は、人がいかなる生活観を持って生きるかということだ。

大部分の人間は、世間に合わせた生き方を選び、そのような日常こそが人間の踏み行うべき正しい生活だと信じている。自分が世間に合わせて生きていることを人々に見せ、また他人が世間に合わせて生きていることを眺めながら暮らすのが、ノーマルな生き方なのだ。人間の虚栄心なるものも、ここから発する。人が世間に見せたがっているもの、──美しい家や高級車、さては幸福な家族を、人より派手に仕掛けを大きくして見せつけたがるのが虚栄心なのだ。

しかし、世間的生活観以外にも、いろいろな観点がある。

禅僧道元は、起床から就寝まで、生活の一こま一こまを仏法を実践する場だと考え、洗面のための水さえも惜しみ、トイレに入っても作法に従って用便した。彼は、一日の生活のどの部分をとっても、求道の場でないものはないと考えていたのである。

茶道や華道の世界も、ほぼこれと同じ生活観の上に立ち、生活のすべての局面で美を実現し、美を享受しようとしている。

一風変わっているのが、「簡単生活」論である。
何かを持つことは、そのものに縛られることだという哲学を持っていた坂口安吾は、徒手空拳、手ぶらで生きる生活術を「簡単生活」と呼んでこれを実践した。彼の住まいには家具らしいものは何もなかった。放浪時代の彼は、夏になれば裸で過ごし、秋口になると浴衣を着て、冬になるとその上にドテラを着込んだ。つまり彼は、衣類としては浴衣とドテラしか持っていなかったのである。

目標を持って生きている人間は、実生活を極力簡単なものにして全力を目的実現のために傾注する。この目標は芸術作品を創造するというような「高尚な」ものばかりではない。パチンコに熱中するのも、蕩児が女漁りするのも、皆人生の「目標」だから、目標のために簡単生活を送る人間が世の中で一番多いかもしれない。

私も簡単生活論者であるけれども、格別、変わったことをしているわけではない。
今頃でいえば、毎日、昼食をふかし芋にして食べている程度のことだ。畑にサツマイモを二畝ほど作っておいて、昼時になったらスコップで一株のサツマイモを掘り出し、これをふかして食べるのである。昼食をこれだけで済ませておくと、ダイエットの効果もあるし、便通もよくなる。

困るのは冬季のサツマイモ保存が難しくなることだが、これも人から保存法を聞いて解決した。寒くなってきたら、サツマイモを全部掘り出し、水洗いした上で新聞紙にくるみコタツの中に入れておくのである。

人は、システム化した簡単生活を送っていたら、流行に惑わされるようなことはなくなるだろう。自然に「知足 安分」という生き方が可能になるのである。