小泉前首相がブッシュ大統領夫妻の前で、プレスリーの物真似をした光景は、何とも異様だったが、安倍晋三首相が、外国訪問の際、夫人と手をつないで飛行機を降りてくる光景も、かなり異様ではなかろうか。各国の首脳が夫人同伴で他国を訪問し、飛行機を降りてくる場面を何度か見たことがある。しかし、夫妻が仲良く手をつないで降りてくるところなど、一度も見たことがないのだ。
安倍首相夫妻の行動は、保母さんの指示に従って幼稚園の園児がお手々つないで歩く様子を思い出させるのだが、安倍夫妻は、なぜこんなおかしなことをするのだろうか。
安倍首相は、フェミニズムが嫌いで、日本古来の家族制度を復活させだがっているといわれる。女は社会進出など考えず、専業主婦として家庭を守っているべきだと考えているのである。事実、彼は男女共同参画社会に反対する議員グループのリーダーになっているらしい。ところが首相は、フェミニズムを嫌悪しながらも、男尊女卑思想の持ち主と取られることを恐れているのだ。しかし、夫妻には元々幼児性があるので、端なくも、ああいう恰好をすることで、その本性を暴露してしまったといえるかもしれない。
首相は米国下院で従軍慰安婦問題が取り上げられたとき、「強制には、広義と狭義がある」などと右翼お得意の侵略戦争弁護論を試み、放っておけば自然に鎮火してしまうはずの問題を大火事にしてしまった。それまでアメリカ下院で日本問責決議案に賛成する議員は8名に過ぎなかったのに、安倍首相の発言後は賛成者が80名にふくれあがってしまったのだ。
世界各国のマスコミも一斉にこの問題を取り上げたから、お坊ちゃん育ちの安倍首相は、すっかり震え上がってしまった。彼は「国士」「愛国者」というポーズを取っているけれども、根は臆病な日和見主義者なのである。渡米する前に、外人記者団と会見するにあたって、彼が会見場に夫人同伴で出かけたのも臆病風に吹かれた為だ。皇太子妃は、外に出るとき愛娘と手をつないで現れる。相手が子どもであっても、二人一緒にいれば不安は半減し、三人でいれば不安は三分の一になるのだ。
安倍首相は、政治家を「反対にあっても屈しないタイプ」と「反対にあうと妥協するタイプ」に分け、自分は前者だと胸を張って宣言していた。だが、安倍首相は組閣に当たって、恥も外聞もなく仲間をあつめて身辺を固めた。政策審議会の委員を選ぶときにも、能力の有無ではなく、いざというとき自分の味方になってくれそうな人物を選んでいる。彼はまわりに味方がいてくれないと、不安で仕方がないのである。だが、外人記者との会見場にお仲間を同席させるわけにはいかなかったから、彼は夫人同伴で会見に臨んだのだ。夫人を同席させれば、記者団も質問に手加減を加えてくれるのではないかという希望的観測もあったかもしれない。
渡米した首相が最初にやったことは、安倍攻撃の急先鋒になっているアメリカ議会の幹部に会って釈明することだった。日米間には懸案の問題がいくつもあったが、それを取り上げる前に、先ず、自分を守るために動いたのだ。ブッシュ大統領に会ったときにも、彼は最初に慰安婦の件で謝罪し、大統領はその謝罪を受け入れた。首相は韓国人慰安婦に謝罪する代わりに、あろうことかブッシュに謝罪し、大統領は僭越にも慰安婦になりかわってその謝罪を受け入れたのである。これ以上滑稽な話があるであろうか。
安倍首相は身辺を味方で固めるだけでは足らず、怪しげな新興宗教に頼っているという。安倍首相と韓国の統一教会が浅からぬ関係にあることは、古くから指摘されているところだし、国内の某教団との関係が週刊誌に取り上げられたのも記憶に新しいところだ。
岸信介を祖父とし、安倍晋太郎を父とする安倍首相が、右寄りになることは仕方がないとしても、日本国の有権者は、わが国の首相が荒唐無稽な新興宗教に入れあげるところなど見たくないのである。
週刊誌の記事がどの程度信用できるか不明だが、最近の週刊誌広告の文面によれば、安倍首相の夫人も連れあい同様にかなり幼児性が強いらしい。安倍夫妻が幼稚園児のようにお手々つないで飛行機のタラップを降りてくるのはいい。しかし、夫婦揃って、その精神や知能まで幼稚園児並みでは困るのである。