子だくさんの家庭を取り上げたドキュメント番組に興味があって、これまでにテレビで紹介される青木家や石田家の暮らしぶりを見てきた(https://amidado.jpn.org/kaze/exp/aoki.html参照)。このうちすっかり有名になったのが青木家で、長女「あざみ」は一家をテーマにした本まで出版している。
青木家、石田家が注目を集めたのは、両家の父親が個性的な人物だったからだ。しかし、こんど新たに「ビックダディ」という番組で、林下清志という人物の日常をみると、この男は、青木家・石田家の父親などが到底及びもつかないほどの「奮闘的生活」を送っているのである。
青木家、石田家の父親も、確かに頑張ってはいた。しかし、彼らには、年頃になった娘や糟糠の妻がいて、背後で家庭内の雑務を処理してくれている。だから、彼らは自分の仕事に専念できる。これに対して、林下家の父親には家事を引き受けてくれる女性がいない。成る程、長女はいる。けれども、この長女は、まだ高校受験を間近に控えた中学三年生なのだ。
結局、林下家の父親は整骨院を一人で運営しながら、炊事も洗濯も農作業も全部独力でこなして行かなくてはならない。彼が仕事の合間に日に三度も洗濯していると聞けば、その奮闘ぶりが分かろうというものだ。
林下家の子ども達は、次の通り。
長女=中3
長男=中2
次男=中1
三男=小6
次女=小4
四男=小3
三女=小2
四女=小1
小学校5年生が抜けているだけで、子ども達は小1から中3までずらっと連続している。壮観である。
父親は7年前に妻と離婚しているというから、彼はまだ乳飲み子だった末子を含め、四男四女を一人でここまで育て上げてきたのだ。しかも、彼はこの8人の全員を高校に入れる覚悟でいて、そのために岩手県の山形町から、はるばる奄美大島への引っ越しを敢行したのだ。山形町の高校が廃校になって子ども達を高校に通わせることが困難になったので、彼はインターネットで奄美大島が高校生に補助金を出してくれるを知って移ってきたのである。
長女はこれまでに8回の転校を経験しているという。これも半端ではない。父親は、安住の地を求めて、幼い子ども達を引き連れ各地を転々としてきたのだ。
一家が落ち着いた奄美大島大和村大棚地区は、人口310人のうち、94人までが老人という高齢者部落だった。この地に過去23年間空き家だったという古家があったから、父親はこれを月3000円の家賃で借りて、整骨院を開設した。そして、ここで林下家は、父が野菜作りに精出せば、子ども達はオカズを調達すべく海岸に出て魚を釣るという自給自足の生活を始めたのであった。
厳しい日々の中で、父親は子ども達に対してどういう態度で臨んでいるのだろうか。
青木家の父親が子ども達に対して偽善的で、石田家の父親が偽悪的だったのに対して、林下家の父親は、至極平明な態度で淡々と子ども達に接している。毎日が目の回るほど多忙だから、子どもの前で気取ったりポーズを取ったりしている余裕がないのだ。
テレビには、こんな場面が映っていた。──娘が高校受験に出かけるので、父親は台所で弁当を作ってやっている。父は、娘を呼んで尋ねる。
「ここに大きい弁当箱と小さい弁当箱があるが、どっちがいい?」
すると、中3の娘は大きい方を指さす。すると、父親は大きな弁当箱を取り上げて、これに飯を詰め込みながら、独り言のように言うのである。
「オレは、お前が小さい方を選ぶと思っていたんだがなあ」
父親は娘が太り気味であることを気にしている。だから、彼女に節食を心がけて欲しいのだが、彼はそれを露骨に口にしないで、こうした言い方でそれとなく注意をうながすのだ。彼は運動クラブのキャプテンが部員を引っ張って行く時のようなやり方で、つまり相手を立てて半ば相談するような口調で命令するという流儀をとっている。子ども達と仲間意識で結ばれている関係を、崩したくないからだ。
子ども達との関係よりも、林下家の父親にとって困難なのは地域住民との関係だった。
彼は地域住民に温かく迎えられたから、出来るだけ地域にとけ込む積もりでいる。しかし、アルコールを一滴も飲めない彼にとって、住民との付き合いは困難を極めるのだ。夜ともなれば、大家が飲みに来ないかと誘いに来る。出かけて行くと、次々に大家の飲み友達が集まってきて、酒盛りになるのである。
「焼酎を飲めないようなら、島での付き合いは出来ないよ」
と、集まった面々は口々に言いながら、彼に焼酎を強いる。そして酒盛りは延々と6時間にも及ぶのである。テレビには、やっと家に戻ってきた父親が、「ああーあ」とため息をつきながら布団に倒れ込む場面が映っていた。
実際、島での行事の多さは呆れるほどなのだ。
村では豊年祈願のための相撲大会が毎年開かれる。父親はこれらの行事にはキチンと参加することにしているから男の子4人と共に、自身も回しを締めて土俵に上がっている。部落対校駅伝大会には、息子の一人を参加させたし、敬老会の余興には子ども達に特製の衣装を着せて8人全員で出演させている。会が果てれば祝儀袋に金を入れて近所の年寄りの家に挨拶に出かける仕事が待っている。
極めつけは、小学校入学と中学卒業の際にそれぞれの家でなされる祝賀行事で、林下家でも長女が中学校を卒業したため、この行事をしなければならないことになった。卒業式の夜には、先ず、中学校の教師全員が林下家にやってきて祝いの宴席に加わり、続いて部落の知り合いが70人次々にお祝儀を持って現れる。これを狭い家の中に招き入れて、食事を出すのである。このための費用に父親は大枚7万円を支出しなければならなかった。
楽しみの少ない島の住民たちは、新年宴会から始まる諸行事を頻繁に取り行い、そのあと判で押したように反省会と称して宴会を開くのである。そして、会のあと個人の家に押しかける。これは、島の生活に限らない。都会に住んでいた人間が田舎暮らしを始めたとき、一番参るのがこの種の寄り合いの多さなのである。
林下家の父親は、これから末子が中学校を卒業するまで毎年のように同じことを繰り返さなければならない。だが、彼は島を去る気にはならない。奄美大島にしかない人情の温かさがあるからだ。
私は青木家、石田家のドキュメンタリーを見ているときには、ただ、面白がっているだけだった。しかし、林下家の生活を見ているうちに、何だか心から一家を応援したい気持ちになった。父親にしろ、8人の子ども達にしろ、皆が邪念なく生きている。卑下することもなく、高慢になることもなく、至極普通に生きているのだ。「地の塩」とは、こういう人たちのことなのである。