(深沢七郎)
正宗白鳥や三島由紀夫が深沢七郎を絶賛していることは知っていた.
「楢山節考」が土俗的な味わいを持っていることも理解できた。だが、「楢山節考」が「人生永遠の書として心読すべきもの」(正宗白鳥)と激賞するほどの作品なのか疑問だったし、その土俗的な作家が妙に派手なハワイアン風のシャツなどを着こんでギターを弾いたり、自分の畑に「ラブミー農場」という気取った名前を付けたりするところが腑に落ちなかった。
そのうちに深沢七郎は「風流夢譚」を書いて「渦中の人」となった。世間はこれ以後彼を「面妖な異人」と見るようになったが、私の深沢七郎を眺める目も、そうした世俗の立場から一歩も出ていなかったのである。それでも、彼の本を古本屋で見かけたりすると、何冊か買い込んでいた。けれども、それらの本を読むことは、たえてなかった。今日まで、彼の作品で私の読んだものは、「楢山節考」だけだったのである。
十日ほど前に、「耕治人全集」をほぼ読了したので、まとめて書架に移した。その際、深沢七郎の「怠惰の美学」が目についたから、何気なく棚から抜き出して自室にもどり、ベットに寝て読んでみた。すると、今度はすらすら読めるのである。
興味を感じたのは、彼が恩人である三島由紀夫を突き放した目で見ていることだった。彼が作家として認められたのは、三島由紀夫の熱烈な推輓があったからなのだ。にもかかわらず、その三島のことを、「三島センセイのは少年文学だからね」と一蹴しているのである。
それだけではない、深沢七郎はこの本とは別のところで、三島由紀夫を次のようにこき下ろしている。
<三島は、金の茶釜とか剣とか金閣寺が好きなんだ。金閣寺なんか、燃えてよかったよ。炎が美しいとかなんとかいってるけど、火事なんて、普通の火事見たってキレイだよ。オレは、三島由紀夫が死んでショック受けたってより、ケンカ売られたって感じだね、あんなイヤな野郎、世の中にいないね。>
深沢七郎が三島を嫌うのは、その国家主義に対してだった。彼は「怠惰の美学」の冒頭で、「三島センセイとオレの違いは、国家という観念だね。三島センセイは、国というのは国と国とに境があって、それで国防を考えてるわけでしょう。オレなんて、(国と国は)境がない続きだと思ってるから、国防だなんてゼーンゼン考えない」と語っている。
では、国家主義に対抗する彼の哲学は何かと言えば、独我論なのである。
<オレは自分のことだけしか考えず、自分のためにしか生きていない>
と、深沢七郎は公言する。深沢七郎は、郷土愛や愛国心は無論のこと、家族愛や恋愛まで愛と名のつくものはすべて借り物の衣装のようなものだと考えている。人間の原型は、「自分のことしか考えず、自分のためにしか生きていない」ところにあり、その他はあとからくっつけた添加物だというのだ。彼は至るところで深沢式独我論を述べている。
<いつだったか人生相談で、大学入って教養を身につけて本物になりたいなんて、あきれたことをいってきた人がいたけど、人間に本物なんてありゃしないよ。人間は欲だけある動物なんだ>
そういう彼も、さまざまな理論やイデオロギーの影響を受け、何時しか「文化人」面をしたがる誘惑にかられる。そのたびに、彼は借り物を脱ぎ捨てて自己の原点、人間そのものの原型に戻ろうとする。
常に独我論に戻ろうと努める深沢七郎の言説に、エゴイズムの臭いが立ちこめているかというと、それが全く逆なのだ。これが彼の本を一冊読んで得た最大の驚異であり、収穫だった。人間の原点に立ち返って深沢七郎の主張するところは、ヒューマニストのいうことと同じなのである。
三島由紀夫の国土防衛論に反対して、コスモポリタンの立場から国際協調を説いた深沢七郎は、日本人優秀説を否定する。
<オレは人間嫌いっていわれているけど、ほんとういうと、日本人嫌いなんだね。かといって外国人が好きというんじゃないよ。・・・・(日本人優秀説をとなえるやからは)だいたい、精神年齢五、六歳か四、五歳ってとこじゃないのかね。>
彼は平和主義者であり、自衛隊の強化に反対する。そして、反戦論を述べる。
<オレは戦争中は負けりゃいい、負けりゃいいと思っていたね。勝ってりゃ、いつまでも続くんだからね>
彼が政治に求めるのは福祉政策であり、福祉政策に怠慢である点で自民党の長期政権を否定している。
彼はまた、死刑制度に反対し、プロスポーツにも反対する。そして、人間本来の生き方とは、「川の水が流れていくように、何も考えず、何もしないで生きること」だという。
深沢七郎の本を読みながら、私はこの作家はアナーキストだなと思ったり、老子的生き方の実践者だなと思ったりした。つまり、この男は自分と同型の人間であり、自分の先達ではないかと感じたのだ。
そこでインターネットの古書店に注文して筑摩書房発行の深沢七郎全集10巻(正しくは、「深沢七郎集」)を手に入れて、まず、エッセー集から読み始めた。
(つづく)