広津和郎の稟質(3)
宇野浩二が発狂したのは、昭和2年のことだった。この時、宇野浩二も広津和郎も36歳になっていた。
異変を感じた宇野の妻からすぐ来てくれという連絡を受けて、広津が宇野の家に駆けつけてみると、旅支度をした宇野が、「おお、広津か、これから伊香保に行こうと思っているんだ」と話しかけた。宇野の妻が一生懸命止めても、「いや行く。行くといったら、行くんだ」の一点張りだった。
広津は、「それでは僕も一緒に行こう」といった後で、「その前にちょっと、新潮社に寄っていきたいんだがな」と誘い水をかけてみる。すると、宇野の気持はころっと変わって、「新潮社には、僕も用事がある」と広津の後をついてきた。それから、広津は一日中、宇野をあちこち連れ回して観察を続けた。やっぱり宇野のすることなす事すべておかしかった。
広津は、心の中で嘆息した。──やれやれ、この長い間の道ずれも、とうとう頭が狂ったか。朝から、贔屓目に、いい方へいい方へと解釈してきたが、結局、気休めにすぎなかったな。
帰宅した宇野は、忘れていた伊香保行きのことを思い出して、これから伊香保に行くと言い張り始めた。そして、さっさと家を出て行くので、「そうか、じゃあ僕も一緒に行こう」と広津もあわてて後を追った。往来に出ると、宇野は急に、「俺は、母親がかわいそうでね」と沈んだ声でつぶやいた。広津が、「そうだな」と相槌を打つと、突然、宇野は四つ角で立ち止まった。
「広津、僕の母親を呼んできてくれ」
「うん、呼んでこよう。ここで待っているんだぞ」
「うん、待っている」
広津は家まで走っていって、宇野の母親を呼んでくる。すると、宇野は母親を抱き寄せて、今度は、「広津、女房を呼んできてくれ」と命じ、宇野の妻を連れてくると、次は兄を呼んでこいという。
「広津、かわいそうな兄貴なんだ」
母、妻、兄を呼び寄せた宇野は、三人を抱きかかえて、
「これだけが、宇野浩二の家族だぞオ」
と叫んだ。三人の家族は宇野に取りすがって、悲しそうな目で狂った宇野を見上げている。道を通る人々は、叫び続ける宇野をいぶかしそうに眺めた。
広津和郎は、宇野をなだめすかして家に連れ戻し、その晩、二階の書斎で宇野が寝入るまで枕元で見守っていてやった。
その日から広津は毎日宇野の家に通って、精神病院に入るように宇野の説得を続ける。宇野と親しい芥川龍之介も、毎日様子を見にやってくる。頑として入院を拒んでいた宇野をようやく病院に入れてから、広津と芥川は、もう一人の友人と連れだって帰途についた。上野公園を突っ切って帰途をたどるうちに、彼らは何とか気分を変えたくなった。
「亀戸の魔窟を探検しようじゃないか」
と言い出したのは芥川龍之介だった。そこには、娼婦をかかえた怪しげな店が並び、一人で立ち入ることをためらわせるような路地があるのだった。三人は亀戸の魔窟街に踏み込み、そこらの路地を歩き回っているうちに疲れてきた。喉もかわいている。そこでお茶でも飲ませてくれる店はないかと芥川が先に立って物色を始め、一軒の店をのぞき込んだ。
「お茶だけでいいんだ。休ませてくれないか」
「いいですよ」
中にいた女がそういって立ち上がった。
その瞬間に、芥川はさっと顔色を変え、脱兎のようにその場から逃げ出した。
「おい、どうしたんだ」と広津が、後を追って行くと、芥川は十間ほど先の電信柱にしがみついてぶるぶる震えている。
「見たかい、あれは幽霊だ」
と青ざめた顔になって芥川が説明するには、女が立ち上がって顔の全面を見せたときに相手が幽霊だと分かったというのである。広津の目には、どこといって変わったところのない、ありきたりの女に見えたが、芥川は幽霊だと信じて疑わないのだった。広津には、そういう芥川の方が幽霊に見えた。芥川の顔はすっかりやせ衰えて、ただ唇ばかりが赤かったのである。
広津和郎が、芥川龍之介に会ったのは、それが最後だった。その一ヶ月後に、芥川は自殺している。
広津が親しくしていた作家仲間は、この頃、次々に悲運に見舞われていた。広津も下宿屋の娘と衝動的な関係を持ったり、出版業に手を出して借金を背負い込んだり、人並みの苦労をしていたけれども、そのことで乱れたり、おかしくなることはなかった。私はまだ広津和郎全集の評論編を少し読んだだけだが、何となくその理由を理解できたような気がしている。
彼は、トルストイとチェーホフを読み比べて、チェーホフの方に親近感を感じる。広津はトルストイを硬直した理想主義者として、チェーホフを柔軟な現実主義者として見ているらしかった。そしてチェーホフを師として仰ぐことによって、理想を追求しようとして「人間の自然性」を踏み出すことの危険に気づくようになったのである。
彼は理想に呪縛されることなく、人間世界の現実相を冷静に眺めている。そして破綻した友人や仲間に温かな手をさしのべている。「年月のあしあと」を読むと、あの性格破綻者の葛西善蔵さえも、広津を頼りにしていたのである。
葛西善蔵は、広津に批判されたことで腹を立て、広津とは絶交状態になっていた。広津は、そういう相手に逆らわず、葛西に近づかないようにしていた。だが、葛西が久しぶりに雑誌に発表した「蠢く者」という作品を読んときに、捨て置けない気持ちになった。その小説には、肺患が重くなって喀血した葛西を、同棲している愛人のおせいが殴ったり、いたぶったりしている様子が描かれていた。
葛西善蔵は、相手をいじめながら、作品の中で相手からいじめられたと書き、被害者を装う癖のある男だった。だから、広津は「蠢く者」のすべてを信用したわけではなかったが、とにかく一度様子を見に行く必要があると考え、夜、本郷にある彼の下宿を訪ねたのだ。
部屋に入ると、やつれて髭ぼうぼうになった葛西が、編集者を呼びつけて口述筆記をさせていた。
葛西は広津を見るや否や、立ち上がって抱きついてきた。
「おお、広津、とうとう来た、広津はやっぱり来た」
そう言いながら葛西は、広津の顔をぺろぺろなめ回すのである。葛西がおせいに殴られているというのは嘘らしく、おせいは部屋の隅にいつもの従順な様子で、ひっそり座っていた。
その葛西が、広津のところに相談したいことがあるから来てくれという電報をよこしたのは、芥川が自殺した翌年のことだった。行ってみると、葛西は丹前姿で布団に寝ていた。彼は前よりさらに衰えて、眼鏡の底から、目をぎょろりと光らせて、重症の結核患者特有のかすれ声でいった。
「もう、おれも駄目でのう」
相談したいことというのは、その頃、円本を出版していた改造社に行って、これから刊行されるはずの自分の本の印税4000円をもらってきてくれという依頼だった。4000円というのは、当時としては大変な金額だった。
「どうして一遍にそんな大金が必要なんだ?」
「おれも死に場所が作りたくなってな」
「死に場所?」
「ああ、田舎に行って、林の中に小屋を作って、そこで死にたいと思ってな」
「おせいさんも、連れて行くつもりか?」
と広津は声を潜めて訊ねた。隣室には愛人のおせいがいて、どうやら二人の間に子供が生まれているらしかった。
葛西の田舎には、正式な妻も子供もいるのである。そんなところに愛人を連れて行って、葛西が死んでしまったら、どうなるか。愛人と赤ん坊は、見知らぬ土地で生きて行かねばならないのである。
広津和郎は、懇々と葛西に説き聞かせた。
葛西の妻と子は、実家に引き取られて暮らしているそうだから、今は愛人と赤ん坊の将来を第一に考えるべきではないか。もし印税のあてがあるとしたら、それはできるだけ大事にして二人のために取っておくべきではないか。
そういって葛西を納得させた後で、広津は改造社に出向き、月々葛西の愛人に生活費を払ってやるように頼んでいる。葛西善蔵は、この二、三ヶ月後に亡くなった。
これがチェーホフを愛した広津和郎のやり方であった。これが、終生の主義としていた散文精神による彼の生き方だった。彼は数多くの盟友を見送った後も、戦後に「異邦人論争」を展開し、松川事件が起こると不撓不屈の粘りを見せて戦い、衰えることを知らない頭脳の冴えを見せつけた。広津和郎は、76歳で没するまで現役の作家であった。