甘口辛口

亀田一家の落日

2007/10/22(月) 午後 1:32

亀田一家の落日

亀田一家に関する百家争鳴を眺めていて、ああ、これは本当だなと思ったのは、協榮ジム会長の言葉だった。彼は、もし亀田大毅が勝っていたら、たとえ彼が多くの反則を犯したとしても、これほどのバッシングを受けることはなかったろうという意味のことを言っていたのだ。一切は、亀田大毅のぶざまな敗戦から来ているというのである。

父親の亀田史郎も、「強くなれば周囲の評価も変わってくる」とその著書の中で言っているらしい。まことに、「勝てば官軍」とは、千古不滅の金言なのだ。

もう一つ印象に残ったのは、以前に亀田一家の世話をしていた大阪のジム経営者が、「亀田(パパ)史郎というのは、大変な小心者で、他家に出かけると萎縮してしまって、その家のトイレを使うこともできなかった」と語っていたことだった。

私は別に亀田パパを軽蔑しているのではない。人間といういきものは、薄い皮膚で体を包んでいるひ弱な存在だから、そうした客観的条件を反映して、本来、皆小心で臆病なのだ。すこし周囲を観察していればすぐ分かることだが、知能に問題のある者ほど勇敢かつ大胆で、結局、気の毒な最期を遂げることが多い。

とはいえ、トイレのエピソードが示すように、亀田パパが人並みはずれて臆病だという事実を認めないわけにはいかない。こういう人間は、その弱さを隠すために、心理学用語でいうところの「反動形成」に走ることが多い。強くなるために空手道場に通ったり、ボクシングジムに日参するのである。

そうした「反動形成」的自己鍛錬を行っているうちに、本当に強くなって自らの臆病を克服する者も出てくる。すると、彼は落ち着いた柔和な人間になり、人格者としてまわりから讃えられたりするようになる。ところが、この自己鍛錬が中途半端に終わると、自分の強さを見せつけるために弱そうな相手を恫喝したり、どこへ行っても傍若無人でふてぶてしい態度を取るようになるから困るのである。ヤクザの大半は、実はこのタイプなのだ。

亀田パパは、自己鍛錬が中途半端に終わった典型的な事例といっていいのではないか。彼は19歳の時、大阪市西成区天下茶屋の「新日本大阪ボクシングジム」に通いボクシングの手ほどきを受けたが、途中で脱落している。その理由を彼は、「仕事がきつくて、ボクシングと両立させることが出来なかった」と弁解しているそうである。

亀田パパがボクシングについて一知半解の知識しか持っていなかったことは、セコンドとして息子の試合に立ち会いながら、息子が出血したときの用意を何もしていなかったことにも現れている。それより何より、父から指導された息子たちは、ボクシングの基本技を身につけていないのである。長兄の興毅も、弟の大毅も、前屈みになってガードを固め、闘牛のように頭を先に突き出しながら、一発逆転のパンチを狙うという単調なスタイルしか知らない。ボクシング世界の落第生である亀田パパが教えたボクシングだから、基本技が身に付くていないのである。

彼は、結婚に失敗して女房に逃げられ、解体業を始めたものの倒産して「自己破産」に追い込まれている。何かことが起こると直ぐに喧嘩腰になり、他人に迷惑をかけた後も謝罪しないでふて腐れる。こんな人間を受け入れるほど社会は寛大ではないから、彼は失敗者になり、世間的に孤立することになる。そこで、彼は代わりに自分の力で支配できる小さな社会を作る。それが、三人の男の子で形成された亀田一家なのである。

妻に逃げられて、男手ひとつで、残された子供を育てることになった父親には、ほかにも奄美大島で整体師をしている「ビック・ダディー」がいる。こういう家庭で育てられた子供たちは、感情面で父親と一体化する傾向が強い。彼らは母に捨てられたという点で、妻に逃げられた父親と被害者意識において共通しているし、それに、次に父に捨てられたら生きていかれなくなるという不安もあるから、父のもとに固く結束するのである。

そこで問題になるのは、一家のリーダーである父親の資質だ。
ビックダディーは、大家族を抱えて生きていくには、周辺社会との協調は欠かせないと考え、地域社会にとけ込む努力を重ねている。しかし亀田パパは、感情の根のところに社会に対する怨恨があるから、周囲に対して挑戦的で不遜な態度で臨む。こういう父親の態度は、直ぐに子供に反映する。

ビックダディーは、進んで子供たちを地域の行事に参加させ、子供を広い社会に中に放してやっている。だが、亀田パパは三人の子供を亀田家という小さなカプセルの中に封じ込め、子供が喧嘩すると学校へでも相手の家にでも乗り込んでいって抗議する。そして一家の唯我独尊的結束を維持するのである。

子供たちにボクシングを仕込むに当たっても、所属するジムに指導を任せないで、我流の妙な訓練を施し、その場面をマスコミに公開する。そして子供たちに父親の指導が正しいと信じ込ませる。兄の興毅が試合に勝った後で、リング上から、「これで親父のボクシングが正しかったことが証明された」と叫ぶのを見たことがある。興毅がこんなことをわざわざリング上からPRしなければならなかったのは、彼の周囲に父親の指導法に対する疑問の声があることを彼もまた承知していたからだ。

興毅も弟たちも、今は父が自分たちを守るために観客やレフェリー・相手選手を恫喝してくれることに感謝しているかもしれない。そして、父のまねをして対戦相手を口汚くののしり、大口をたたくことを売り物にしているかもしれない。けれども、やがて父親の世界から抜け出してもっと広い世界に歩み出る日が来るに違いない。そして、それは亀田家の兄弟の場合、父の手から離れて別の指導者からボクシングについて本格的に学ぶことが転機になると思われるのである。

噂によれば、リング上で父のボクシングを賛美した興毅も、大毅の敗戦を目の前に見て、試合をすることに恐怖を感じ始めたという。もし、この話が本当だったら、彼は父親から仕込まれた技術では通用しない広大な世界があることに気づいたのである。

幸い、父はライセンスを取り上げられ、子供たちは別の指導者のコーチを受けることになるかもしれないという。ここに亀田一家復活の芽がある。

亀田パパは、自分が子離れしない限り、一家の復活はないことを銘記すべきだろう。