<宇野浩二の奇妙な生涯> (写真は若き日の宇野浩二)
私の書架には、購入後放置されたままになっている「宇野浩二伝」がある。水上勉の著した上下二冊の大冊である。
この二冊が購入後20余年も放置されていたのは、本の中身がぎっしり詰まっていて、見るからに手強そうな感じがしたからだった。相当な覚悟で臨まないと、とても読み通せそうもないと思われたのだ。ところが、私は数日前に、上下併せて800ページにも及ぼうかというこの大冊を何の苦もなくスラスラと読み終えてしまったのである。
きっかけは、宇野浩二の「苦の世界」を読んだからであり、「苦の世界」を読んだのは、広津和郎の「年月のあしあと」を読み返しているうちに宇野への興味が再燃して来たからだった。
私は旅先で偶然手にいれた宇野浩二の本を読んで以来、この作家に関心を抱き始めたけれども、その他の彼の作品をほとんど読んでいなかった。それでも、彼の作品の中に、ヒステリー女と同棲して塗炭の苦しみをなめる「苦の世界」という作品があることは聞いており、以前からこの作品だけは読んでみたいと思っていたのだ。その気持ちが「年月のあしあと」を読むことでよみがえり、とうとうインターネットを通して宇野浩二全集を買い込む羽目になったのである。
全集が届いたところで早速「苦の世界」を読んでみた。すると、宇野を悩ませた伊沢きみ子が大変な女だということが分かってきた。
宇野浩二は、伊沢きみ子と場末の娼婦街蛎殻町で知り合ったのだが、きみ子はもともとそんなところに流れて来るような女ではなかったのである。叔父の伊沢多喜男は当時警視総監をしており、後に台湾総督になるような大物だったし、多喜男を兄とする彼女の父親の方は医者だった。きみ子の一家も一族も、皆、上流の暮らしをしているのに、きみ子だけが家出をして周旋屋に騙され、芸者に売り飛ばされて蛎殻町のようなところに流れてきたのだった。伊沢きみ子は一族の恥であり、伊沢家にとって疫病神のような女だったのである。
そんな生まれもあってきみ子には、気品のようなものがあった。背のすらっとした瓜実顔の器量よしで、とても芸者だとは見えなかった。宇野がこのきみ子に惚れ込んで蛎殻町に通っているうちに、突如、21才の彼女が宇野のところに押しかけてきて、まるで居座るような格好で同棲を開始したのであった。
当時、宇野浩二は25才で、竹屋の一室を借りて母と二人で細々と暮らしていた。収入は宇野が童話を書いたり、翻訳をしたりして手に入れたわずかな原稿料しかなかった。そんなところへきみ子が転がり込んできたから、六畳の狭苦しい部屋に宇野母子と伊沢きみ子の三人が顔をつきあわせて過ごすことになったのである。
わがままなきみ子は、毎朝一番遅くに起きて来る。その前に母は食事の用意を一切調えてきみ子の起きてくるのを待っているのだ。宇野は早くに起きて炊事をした母が腹を減らしているだろうと思うけれども、先に食事をすると女が怒るので母に、「おさきへどうぞ」ということが出来ない。それで母と息子はちゃぶ台を前にして女が起きるのをじっと待っているのだった。
ようやく起きて来たきみ子は、彼女を待ちわびている母子を尻目に、ゆっくり顔を洗い、髪を何回も結い直し、丹念に化粧してからやっと膳に向かうのだ。食事を始めてからも、昨日まで喜んで食べていたオカズを、急に実は嫌いだったのだと言い出したり、毎日同じオカズが続くからイヤになったとかいって、「今日はご飯を食べない」と宣言する。
貧乏暮らしに腹を立てたきみ子は、やがて、あられもなく暴れ出すようにもなった。襖一枚隣には竹屋の家族がいるのに、そんなことはお構いなしにわめいたり叫んだりして、宇野に暴力を振るうのである。暴れる相手を宇野が腕力で組み伏せて動かないようにすると、ヒステリー発作が一時間ですむところを二時間にも三時間にも延長させることになる。だから、宇野は女が暴れ出すと、黙って見ているしかなくなった。きみ子はしまいには、どろどろになった道に足袋はだしで飛び出したり、縁側の下の地べたに着物のまま寝ころんだりした。
「苦の世界」は、ヒステリー女に振り回される惨憺たる日常を描き出しながら、読者に一向に暗い印象を与えないのである。これは宇野独特の、「読者諸君、辛抱してくわしい話を聞いてほしいのだ」というような読者に向かって直接話しかけるような軽やかな文体によるかもしれない。
あるいは、宇野に女に対する憐れみがあるからだろうか。著者は作品の中でこんなことを言っているのである。
<をんなは、これまで彼女に接した他人にはいふにおよばず、
その血をわけてもらった生みの母にさへ捨てられるのだと思
ふと、いつの間にか私たちの前の景色がうるんで見えるまで
に、目に涙のにじむのを感じないわけには行かなかつた。
さうだ、やがて、彼女はこの私にも捨てられるとしたならば、
どこで私ほど彼女を受け入れる男を見いだし得るであらう?
私とくらしたあひだ、彼女は私のいくぢなさのために、いく
どヒステリイをおこしたか知れない、けれども、彼女がその
とき私にあきたらずして求めるやうな、いはゆるいくぢある
男は、男の方できつと彼女と一週間以上同棲するにたへない
にちがいない。>
宇野浩二と親交のあった長沼弘毅も、宇野がきみ子と同棲を続けたのは愛からだと言っている。
<彼女から逃げようとするのだが、さて、そのヒステリー女の持っている特有の魅力(主として、ヒステリーを起こさないときの、やさしさ、無邪気さ、素直さ、子供のような純真さなど、数えあげれば、いくらでも例はあるだろう)を忘れることができず、それなればこそ、彼女に対する憐憫の情は他人のうかがい知れぬものがあった──いま頃はどうしているだろう、当たり散らそうにも相手がいないので、ひとりで泣き濡れているのではないか! (「鬼人宇野浩二」長沼弘毅)>
私には「苦の世界」の不思議な明るさは独特の文体のためだとも、あるいは宇野のきみ子に対する愛乃至憐憫のためだとも思えない。では、この明るさはどこから来ているのだろうか。
(つづく)