甘口辛口

週刊誌めぐり(炎の家族)

2007/12/30(日) 午後 3:51
<週刊誌めぐり(噂の家族)>

昔は、世事万般に興味を持っていたから、週刊誌を買ってくると隅から隅まで読んでいた。この「世事」には、多少の知的な要素も混じっていて、「朝日ジャーナル」を創刊号から廃刊号に至るまで全冊購入し、しかもその全部をご丁寧にも保存していたのである(始末に困って処分したときには、文字通り山になっていた)。

しかし、その後、総合雑誌二冊を月決めで購入するようになって、週刊誌を読むこともあまりなくなった。でも、年をとると、雑誌論文を読むのが段々しんどくなってくるのである。それで、また、雑誌の代わりに週刊誌を読むようになった。

どの週刊誌を読むかは、新聞に載っている広告をみてから決める。ここ一・二年は週刊誌を買ってきても、目当ての特集記事を読んでしまうと、後が続かなくなった。これまでは、買ってきた週刊誌の中身を隅々まで読んでいたのに、今では目当ての記事を読みおわると、それで終わりにして雑誌を放り出してしまうのである。

320円を出して週刊誌を買ってきて、5分間読んだだけで後は捨ててしまう──これでは、あまり「投資効率」が悪いではないかと反省する。だが、加齢が進むと、これまで面的な広がりを示していた世事一般に対する興味が、点的に縮小して、一点に絞られてくるからやむを得ない。

ということで、先週興味をもって買ってきたのが「週間朝日」の新春合併号だった。この号の呼び物は「300選挙区当落予測」で、民主党が倍増し、自民党が激減することを予想している。が、私が興味を持ったのは、<07年「炎上家族」>というタイトルを持った特集だった。

読んでみて、当てがはずれた。「不倫の花田家」や「反則の亀田家」について面白おかしく書いてはある。けれども、期待していたような新しい情報はなくて、この欄を担当した今井舞というライターは、すでに報じられている既知の素材をもとに才筆をふるっているだけなのだ。たとえば、亀田家については、こんな風に書く。

「父親を中心に、まるでマトリョーシカのように同じ顔で並ぶ息子たち」

まあ、それはそれで一読の価値はあったが、いささか欲求不満におそわれて、ほかのページをめくってみた。すると、現天皇の皇太子時代の話が出ていた。<陛下と美智子さまの「皇室改革」>という記事の中に、皇太子時代の現天皇に関する話が載っていたのである。

皇太子時代の学友は、当時の天皇について次のように語っている。


 「じっは、昔は明治天皇の
ように、権力者的なところ
があってね。冷たい目で、
重箱の隅をつつくように相
手の責任を追及するような、
すさまじさがあったんだ」

学習院に学んでいた頃の天皇は、級友から公開をはばかるような綽名で呼ばれていたというが、それはこうした皇太子に対する反発から来ていたのだろう。ご進講に来る有識者たちに対しても容赦ない突っ込みをするので、学者らは皇太子に講義することをいやがったという。

そこで、こんな論評まで現れた。

 「果たして将来天皇という
地位に就くのにふさわしい
のか。弟の義宮(常陸宮さ
ま)のほうが、温厚な性格
や皇族然とした振る舞いが
よほどふさわしく思える」

その皇太子も世の荒波を感じるにつれて、次第に成長していったらしい。
皇太子は、19歳の時、エリザベス女王の戴冠式に列席して手ひどい屈辱を味わった。女王の前に立って挨拶しようとしたところ、女王から目も合わせてもらえなかったのである。昭和天皇の名代で沖縄に出かけたときにも、島民から怨嗟の目で迎えらた。

こうした経験をなめた現天皇は、神戸や新潟などの地震被災者を見舞う際に、板敷きの体育館の床に正座して相手に声をかけるという変貌を見せるのだ。そこまでやるのかという変身ぶりである。傲慢無礼な石原慎太郎など、天皇の爪の垢を煎じて飲むべきではないか。

天皇であることは、難しいことなのである。
先日テレビを見ていたら、昭和天皇は晩年、二・二六事件のあった2月26日が来たら、侍従に向かって、「治安は大丈夫か」と訊ねたという。天皇は、二・二六事件から41年たっても、事件当時の恐怖と不安を忘れないでいたのだ。

二・二六事件で決起した青年将校たちは、天皇側近の重臣たちを攻撃し、天皇の弟の秩父宮を即位させようとしていると噂されていた。こういう噂を聞いていたから、昭和天皇は陸軍の幹部に向かって、「お前たちがぐずぐずしているなら、私が先頭に立って反乱軍の討伐に向かう」と叱咤したのである。

テレビでは、昭和天皇が「崩御」した日に国民がどんな反応を見せたか事細かに放映していた。たが、私はその前後のことを全く覚えていなかった。おかしいほど何も覚えていないのである。どうも私は、よくよく不忠の民らしい。