甘口辛口

公明党よ! 目を覚ませ

2008/5/29(木) 午前 10:13

(公明党元委員長─ 週刊新潮より)

<公明党よ! 目を覚ませ>


週刊朝日の最新号は、「公明党よ! 目を覚ませ」というトップ記事を掲載している。少し前には、週刊新潮が、「矢野絢也を窮鼠にした創価学会の脅迫と誹謗中傷」というトップ記事を載せていたし、週刊誌が揃って公明党・創価学会を批判する記事を載せるようなことは、近頃、絶えてなかったことである。これまでマスコミは、創価学会関連の批判記事を控えていたのだ。

マスコミと同じように、世間一般も創価学会や公明党について語るときには遠慮がちになっていた。マスコミが慎重になるのは、創価学会が大量の広告を発注して広告主として新聞雑誌の上得意になっているからだが、世間一般が警戒するのは、創価学会の会員がどこにいるか分からないからだ。

共産党員も創価学会の会員と同様、信念集団のメンバーとして世間から特異な目で見られている。だが、共産党員は周囲からそうした目で見られることをさほど気にしていない。彼らは現在の社会体制を変革すべきもの、否定さるべきものと考えているから、そんな社会からアウトサイダー扱いされても、痛痒を感じないのだ。彼らは、自分がアカ呼ばわりされたり、特別視されたりするのも今のうちだけで、社会が変われば周囲から歓迎されるようになると信じている。

共産党員がアウトサイダーだとすれば、創価学会の会員はインサイダーである。「現世利益」をモットーとする創価学会員は、基本的には現世を肯定し、この現世において幸福になることを求めている。この世で幸せになるためには、周囲から浮き上がることは禁物で、世の中に溶け込み、皆と協調して生きて行かなければならない。共産党員が何かと言えば主義主張を振り回して、周囲から敬遠されるのに対して、創価学会の会員は皆のいるところでは沈黙を守る。彼らが雄弁になるのは、知人を説得して学会員にするときだけである。

つまり、一般の人間には、創価学会員がどこにいるか直ぐには見当がつかないのだ。後になって相手が学会員と知って驚いたりする。ということになれば、うかつに公明党や学会の悪口をいうわけにはいかない。

だが、公明党・創価学会への世人の批判は、厳しくなってきているである。公明党の立党の精神は、「人権・平和・福祉」だった筈なのに、これに違反するようなことばかりしているからだ。

1999年──国旗・国歌法案に賛成

2001年──テロ特措法に賛成

2003年──イラク特措法に賛成

2006年──教育基本法改正案に賛成

こんな具合に公明党はイラク戦争に賛成し、福祉予算削減を支持し、自ら立党の精神を蹂躙しているのだから世の批判を浴びるのもやむを得ない。週刊誌が相継いで公明党・創価学会を批判するトップ記事を掲載するのも、至極当然なことなのである。

公明党がこんなに堕落してしまったのは、既得権益を擁護する自民党と連立しているからだ。経団連をパトロンにしている自民党と、大衆のための党を自認する公明党が、一緒になれるはずはないのである。

では、公明党はどうして自民党と絶縁することが出来ないのだろうか。週刊朝日のトップ記事を書いた東大の御厨貴教授はこう説明している。

 政権を離脱したら、自民
党が意趣返しで、創価学会
の池田大作名誉会長の証人
喚問などを言いだすのでは
ないか、といった懸念も、
公明党の動きを鈍らせる要
因でしょう。

御厨教授は、公明党が自民党と絶縁できない理由のひとつとして、池田大作名誉会長の存在をあげている。だが、池田会長の存在は原因の一部どころか、原因のすべてなのだ。池田会長は、国会に証人喚問されることを病的なまでに恐怖している。だから、彼は公明党を自民に協力させ、創価学会を自民党のための集票組織にして、自民に恩を売っているのだ。こんなことは事情通にとって常識であり、マスコミ関係者のすべてが熟知していることなのである。

だから、もし民主党が第一党になり証人喚問を匂わせれば、池田会長は提携相手を自民党から民主党に乗り換えるだろう。公明党は安定した集票力を持っているから、例えていえば持参金付きの花嫁みたいなものである。どの政党も公明党を嫁にもらって議席を増やしたがっている。だが、公明党が無原則に行動すれば、娼婦のように無節操な党だということになって、選挙民から見捨てられる。

宗教学者の島田祐巳は、週刊朝日の誌上で創価学会に警鐘を鳴らしている。

「勤行」(本尊に向かっ
て法華経の一部を読誦し、
南無妙法蓮華経の題目をあ
げる)の簡略化が容認され
るなど、学会の宗教行事の
簡素化が進んでいます。今
や、学会員がいちばん盛り
上がる場は選挙運動になっ
てしまいました。

学会員が選挙運動に熱を入れ、公明党立党の精神を忘れて自民党の集票組織・補完組織になり下がったら、最早学会の未来はない。

それから、創価学会は「裏切り者」を口汚く罵ることを慎むべきではなかろうか。以前に学会員だった顧問弁護士をえげつない言葉を総動員して罵倒していたが、今はそれが公明党元委員長の竹入義勝や矢野絢也に向けられている。週刊新潮によれば、その実例は以下の通りだ。

『公明新開』が、「天下の変
節男」「畜生以下の非道」「泥
棒野郎」「銭ゲバ」「極悪議
員」 「学歴詐称男」などと暴
言を浴びせれば、『聖教新
聞』は座談会で真偽不明の
話を持ち出し、こう貶めた。
<竹入といえば、あいつの
下劣な行状は沖縄でも有名
だ。昭和45年当時、あいつ
は沖縄の夜の街で遊んで、
人には言えない恥ずかしい
病気にかかった>(98年10月
20日付)

私は、「品格」という言葉を好かないけれども、創価学会系のライター諸君に必要なのはこの言葉ではなかろうか。