甘口辛口

日本の女性は美しいか(その1)

2009/5/10(日) 午後 6:25



               「美の巨人たち」より
                    上段は、小出楢重の家族
                    中段は、作品「Nの家族」
                    下段は、作品「枯木のある風景」

<日本の女性は美しいか(その1)>


小学校の低学年だった頃に、イタリア映画を見たことがある。何しろ時代は満州事変の翌年か翌々年のころだったから、小学生の見る映画といえば、チャンバラ映画やドタバタ喜劇に限られていて、外国映画を見るチャンスなど一度もなかった。それがどんな風の吹き回しだったのか、イタリアの恋愛映画を見る偶然が訪れたのである。

小学校低学年の生徒には、大人の恋愛の機微などに何の興味もなかった。だから、訳も分からずに、ただスクリーンを見ていただけだったが、その映画に登場する女優たちの美しいことだけは分かった。まるでこの世のものとは思えないほど美しかったのである。彼女らは本当に女神のように見えた。

それまで目にしてきた日本映画にも女優は出てきたし、近所にも器量よしといわれる娘たちもいた。しかし、イタリア女優の美しさに比べたら、比較にも何にもならなかった。雲泥の差があるのだ。

外国の女優を美しいと思ったのは、こちらがまだ小学校の生徒で異性に関心がなかったからだ。それだけに、素直な気持ちで彼女らを眺め、女性の美醜をもっぱら即物的に公平に比較することができたのである。純客観的に眺めれば、日本人の女性は容姿の点で欧米の女性より見劣りがする。同様に、欧米の青年と日本人男性を比較すれば、日本人男性の評価がガタ落ちするのはいうまでもない。

──最初からこんな話を持ち出したのは、小出楢重について触れるためなのである。彼は従来胴長短足で醜いとされてきた日本人女性の裸体を描き、高い評価を受けている画家なのだ。

小出楢重の名前を知ったのは、宇野浩二の「枯木のある風景」を読んだからだった。よく知られているように「枯木のある風景」という作品は、発狂して精神病院に入っていた宇野浩二が病気快復後に発表した第一作であり、小出楢重を主人公にしているのである。

この作品の中で、宇野浩二は作中人物の言葉を借りて小出楢重をこう評している。

「世界の画壇に、あんなごまかしのない絵を書ける絵描きが一人でもあるか。また、日本の女の裸体をあんなにいろいろに生かして書いた絵描きが一人でもあるか」

私は、小出楢重が、「君の絵には一種の妖気があるな」と友人に言われて、「そや、そや」と賛意を表したという話にも興味を感じた。その妖気を感じさせる絵の一つが、死の直前に描いた「枯木のある風景」だというのだから、何をおいてもこの作品だけは是非とも見たかったのである。だが、手元には小出楢重の画集がなかった。

宇野浩二は、小出楢重の「枯木のある風景」について、小説の中で事細かに説明している。作品の前景には、大きな枯木の丸太が五、六本転がっていて、これが人間の白骨に見えるというのだ。そして後景には冬空を二分するように、高圧線の電線が横切っていて、奇怪なことに、この電線に黒い鳥のようなものがとまっているのだという。

だが、よく見るとそれは鳥ではなくて人間なので、この絵は「鬼気ひとに迫る」という印象を見るものに与えるらしかった。宇野浩二のそんな文章を読むと、ますますそそられるものを感じる。

テレビというものは有り難いもので、そのうちに小出楢重を取り上げた番組にぶつかった。「美の巨人たち」というシリーズ物の番組だった。これには小出楢重の出世作になった「Nの家族」をはじめ、何枚かの裸婦像が写真版で紹介してあり、無論「枯木のある風景」も紹介されていた。そして一番強烈な印象を受けたのは、やはり「枯木のある風景」だったのである。

テレビのディスプレー上に浮かび上がった「枯木のある風景」を一瞥したとき、その白々とした風景が私には冥土の景色に見えた。死人を思わせる前景の丸太も白い光に照らされているし、画面の端に描かれた道も白い光に照らされている。いきものの気配のない、しいんとした風景、その静かな世界にこの世ならぬ白々とした光が、均一に落ちているのである。それは確かに死後の世界であった。

小出楢重は、この絵を自宅から戸外を眺めながら描いたのだが、自宅から高圧線の鉄塔など見えないという。では、彼はなぜありもしない鉄塔と電線を書き込み、しかも電線にとまっている黒い人影を付け加えたのだろうか。もしかすると、自らの死期を悟っていた彼は(この絵が彼の遺作になった)、制作中の「枯木のある風景」を自分が赴く瞑府として描き、死後の世界を高みから観望する自分を絵の中に黒く書きこんだのかもしれない。

こういう絵を描いた小出楢重とは、どんな人間だったか、「美の巨人」のナレーションと宇野浩二の小説を参考にすれば、大体のところが分かるのである。

(つづく)