「美の巨人たち」より
裸婦像2点
<日本の女性は美しいか(その2)>
小出楢重は病弱で、子どもの頃からしょっちゅう医者にかかっていたらしい。そのため成人してからも、身長は156センチ、体重36キロしかなかった。彼は小柄でやせこけた自分を「骨人」と呼んでいる。小出楢重には、自らを客観視するユーモアの感覚があったのである。自分の描いた絵が高く売れなくても、「絵なんてものは、こちらが楽しんだあとの滓みたいなものだから、安くたっていいんだ」といっていたという。
彼を知るものは、たいてい小出楢重とは剽軽者で機知の人だと思っていた。だが、彼の真価を知る、広津和郎や宇野浩二などの作家たちは「剽軽者」というのは仮面だろうと見ていたのだ。美術学校に入学して、黒田清輝に洋画を学んだものの、彼は当時の画壇を支配していた印象派風のこぎれいな絵に反発を感じて独自のコースを歩み始めていたのである。
小出楢重が文展に三度つづけて落選したとき、広津和郎は二科展に出品するように勧めた。その助言に従って「Nの家族」を二科展に出したら、作品は「樗牛賞」の栄誉に輝くことになった。
批評家の中には、「Nの家族」を「芸術味がうすいと」とけなすものもあった。黒田清輝の「湖畔」を当代最高の傑作とする立場からすれば、「Nの家族」に描きこまれた三人の家族はあまりにもグロテスクで、目を背けたくなるのである。「芸術味がうすい」と評された小出楢重は、「芸術なんてくそくらえだ」と放言した。「骨人」は「骨人」でも、彼は「反骨の人」だったのだ。二科展のスターになった彼は関西出身だったので、やがて「東の岸田劉生、西の小出楢重」と呼ばれるようになる。そして、パリに留学するチャンスに恵まれる。
しかし彼は、僅か半年滞在しただけで、「パリなんて、ろくなところじゃない」と帰国してしまう。これも彼の反骨精神からだったが、帰国して日本の女のヌードを描くようになったのも反骨精神からだった。彼が、裸にすると醜いとされてきた日本の女を好んで描いたのは、既成の美意識の見落としている美を醜い日本女のなかに発見したからだった。
すぐれた演出家は、どんな人間にも独自の持ち味があることを知っているから、俳優を選ぶのにえり好みをしない。小出楢重も、風景にしろ人物にしろ、どんなものにも面白さがあることを知っているので絵の題材にえり好みをしなかった。
だが、それでは絵の売れ行きに悪影響が出る。そこで、夫人は彼をコントロールして売れる絵を描かせるようになった。小出楢重と結婚する以前は、夫人も画家だったから、美術愛好家にどんな絵が好まれるか知っていたのである。彼女は夫にフランス人形を描いた6号の絵を10枚一緒に描かせたり、あちこちから注文を取ってきて顧客の要求通りの絵を描かせた。
小出楢重と夫人の関係については、「美の巨人たち」も触れているし、宇野浩二の作品にも言及がある。宇野は小出楢重夫妻について、こう書いている。
<古泉(注:小出楢重)は、家庭ばかりでなく、一切の俗
事を妻にまかしきりにしたので、むしろ明かるい家庭であっ
た。ところが、この任しきりの度があまりすぎたので、古泉
をもっともわるい意味の『父さん坊ちやん』にしてしまつた
のではないであらうか。
例へば、彼等が一しょに出て買び物
をしても妻がその支払いをし、電車に乗っても妻が切符を買
ふことなどである。それが終に 「さあ、お父さんこれこれの
絵をお書きなさい、」「あの絵は私が何とかしますから、」と
いふ状態まで進んだのではないであらうか、と島木(注:鍋井
克之)は推量といふより断定した。
さういふ事情を推量あるひは断定す
るやうになつてからは、あんな大胆な、あんな秀抜な、あん
な鋭敏な、あんな独得な、頭脳と才能の所有者が、家庭に
あっては『父さん坊ちやん』 の仮面をかむり・・・・・>
小出楢重の友人たちは、彼が女房の尻になど敷かれず、思う存分反骨を発揮して作品制作の面でも、日常生活の面でも、自由奔放に行動してくれることを望みながらも、夫人が小出楢重を支えてくれていることに感謝していた。
ここで白人女と日本女を比較する問題に移れば、少女期から娘時代にかけてなら、白人の女性の方が有色人種の女より断然美しいといわざるをえない。一方の白人女は、白い肌に青い目、それに金髪やブルーネット、他方の日本女は黒い瞳に黒髪だから、その見た目の美しさはカラー映画と白黒映画くらいの差があるのだ。
だが、年を取ると形勢は逆転する。白人の男も女も、中年を過ぎると相撲取りかレスラーのようにぶくぶく肥り始めるか、やせて皺だらけになって顔だけ見れば七面鳥みたいになる。特にやせ形の老女の目は深く落ちくぼみ、目のまわりが黒ずんで、魔女か妖婆のようになる。その点、日本人を含む東洋系の女性は、年を取っても体型や顔立ちが激変することはない。
白人の女たちは、老年になると醜くなるからこそ、青春の一時期、花のように美しいのではあるまいか。そこには自然の摂理のようなものが働いているという気がするのである。
それに白人の美女には、トゲがあることを忘れてはならない。
東京で教師をしていた頃、職員旅行で熱海に出かけたことがある。その帰り、若い教員三人で二等の汽車に乗った。その頃の国鉄運賃には、一等・二等・三等の別があって、二等というと三等よりかなり高額だったのだ。
列車が東京に近づくにつれて、車室の中はほぼ満席になり、横浜から乗り込んだ客は昇降口のところで立っていなければならなくなった。その入り口に立っている乗客の中に、すらっとしたアメリカ美人がいたのだ。年の頃二十二三、これまでに見たこともないほどの美女だった。
「ハリウッドの女優みたいだな」と私たちは囁きあった。
令嬢らしく取り澄ました表情をしているところを見れば、彼女は進駐軍の高官が米国から連れてきた家族の一人らしかった。ところが、その令嬢は私たちが彼女の方を盗み見すると、車室内に向けていた視線を転じて、必ずこちらを見返すのである。そうしたことが繰り返えされているうちに、彼女が車室内に目を走らせているのは、誰が彼女を見ているか確認するためだと分かってきたのだ。
彼女は自分の美貌に目をとめてくれる男たちが一人でも多いことを求めていた。男たちに愛されたいと思っているからではない。ただ、自分に見とれる男たちを把握し、彼らを離さないように繋ぎ止め、男性を何時までも支配していたいのである。それは一種の権力意志にほかならなかった。
日本にも器量自慢の娘はたくさんいるけれども、ここまで冷たい女性を見たことはなかった。子どもの頃は、女神のようだと思っていた外人女性も、段々こちらの知見が増えてくると彼女らの精神構造に距離を感じるようになる。そして日本の男たちは、(やはり日本人の女性だな)と身近の女性を見直すようになるのではないか。
小出楢重がパリでの生活を早々に切り上げて帰国し、日本女のヌードを描くようになったのも、外人女性の冷たさやその権力意志に違和を感じた為かもしれない。