甘口辛口

異端の才女内田春菊(その1)

2009/5/21(木) 午後 7:44

(写真は内田春菊)    

<異端の才女内田春菊(その1)>


このところご無沙汰していた古本屋に出かけた。お目当ては翻訳物のミステリーで、アルコール依存症の患者が暫く酒を飲まないでいると、たまらなく酒杯を手にしたくなるように、私は間歇的に外国種のミステリーを読みたくなる。

古書店の書架を回っている内に、内田春菊の本が妙に目についた。その結果、購入したのは翻訳物ミステリーが一冊だけで、内田春菊の本を四冊も買ってきてしまった。そして、帰宅すると、その日のうちに彼女の、「あたしが海に還るまで」を読み終えたのだから、読書のスピードが落ちている昨今の自分としては奇跡に近いことだった。

内田春菊に興味を持ったのは、代理母の問題を取り上げたTV番組に彼女がコメンテーターの一人として出席していたからだった。その頃、内田春菊は「ファーザーファッカー」という作品で脚光を浴びたばかりだったが、注目の新人ということで、妊娠できない女性のために別の女性が子どもを産んでやる代理母の可否を論じる座談会に引っ張り出されていたのだ。

座談会に出席しているのは、「有識者」と呼ばれる中年の男女が多く、そのなかで内田春菊は一番年少だったから、彼女は最初は黙って出席者の意見を聞いていた。彼女がそんな番組に出るのは初めてだったに違いないが、別に緊張しているふうではなく、ごく当たり前の表情で座に加わり、尋常な表情で皆の話を聞いていた。

アメリカでは、お金をもらって代理母になってやる女性が多いけれど、日本ではそういう女性がいないという話が出たときに、それまで発言しなかった内田春菊が口を開いた。

「それなら、私が(代理母に)なってあげてもいいわ」

彼女の口ぶりは、まるで近くの店にお使いに行ってやってもいい、というような気軽な調子だった。それは冗談でもなく、奇を衒う虚勢でもなく、ごく自然な調子で語られたから、頼まれれば彼女が本当に代理母になるにちがいないことが信じられた。彼女は代理母になって、他人の子どもを体内で育て、出産してやることを、それほどたいしたこととは考えていないのである。

こんな女性を見たことがなかった。内田春菊は、私が初めて見るタイプの女だったのである。彼女は世間が瞠目するような行動を、何の気負いもなく当たり前の行動として淡々と実行する女性なのであった。

そのうちに「ファーザーファッカー」を読む機会があったが、内容が少女期を養父に犯され続けて過ごした彼女の体験を綴ったものであるにもかかわらず、淡々と書かれていて衝撃力は意外に少なかった。彼女は自分を犯した養父についても、それを黙認している母についても、生々しい描写をすることを避け、ただ事実をありのままに述べているだけだった。

そのため「ファーザーファッカー」は、グリム童話の残酷物語のような一種メルヘン的な作品になり、事実の持つ真の悲劇性や残酷性が読者に伝わってこない。これは内田春菊が、少女の頃から残酷な運命に馴らされて、何が起きてもそれを日常的な現象として受け流す癖がついているためではないか。

この内田春菊のことが再び頭によみがえってきたのは、シングルマザーの売春という問題をブログで取り上げたのが機縁になっている。過去におけるその種の事例として内田春菊の母親の件を引用しようと思って、インターネットで春菊の項目を引いたら、彼女の多彩な才能が明らかになったのだ。そして、ファーザーファッカー以後の彼女の消息も知ることが出来た。それによると内田春菊の経歴は次のようになっている。

 <漫画家、小説家、エッセイスト、女優、歌手。
  本名は鈴木 滋子(旧姓は内田)。長崎県長崎市生まれ。
  長崎県立長崎南高等学校卒業。慶應義塾大学文学部哲学科中退>。

彼女は作家であるだけでなく、漫画家であり、女優であり、かつ歌手でもあるのだった。

内田春菊は、結婚や離婚についても多彩な過去を持っているらしく、「GOO−教えて」からの引用部分に次のような記事があった。

<最初の結婚は二十歳くらいのときで、相手はけっこう年上のサーファーみたいな人だったらしいですが、かなり身勝手な方だったみたいで、春菊さんのほうから逃げ出してしまったようです。
その離婚のころに知り合ったのが2番目の人で、バンドのドラマーだったらしいです。入籍したのは春菊さんが最初の子を妊娠したときですが、その子はそのご主人のこどもではありません。
二人目の子は2番目の結婚中に生まれましたが、DNA鑑定の結果、2番目の人の子ではありませんでした。どなたの子かは春菊さんはわかってるみたいですが、明らかにはされていません。

最初の結婚のことは「りりかる」という漫画、次の結婚のことは「私たちは繁殖している」、その後の離婚騒動のころは「犬の方が嫉妬深い」、さらにその後のことは「愛だからいいのよ」などに書かれています。
他にもいろんなところに書かれていますので、まだあるとは思います。
あと、「まれにみるバカ女」という本に、春菊さんのことも載っていて、それにも詳しい情報がのっていました>

「まれに見るバカ女」(別冊宝島編集部)は、本屋の店頭にゾッキ本で並んでいたのを買ってきた記憶があるけれども、書庫のなかを探してみたが見あたらなかった。

私が古本屋から買ってきた「あたしが海に還るまで」を一挙に読み終えたのは、この本の帯広告に、「続・ファーザーファッカー」とあったからだ。「ファーザーファッカー」は、春菊が16歳になったところで終わっている。この本にはそれから後の16歳から23歳まで7年間の出来事が取り上げられているのだ。

前作がメルヘンのような感じになってしまったのは、養父がどんな素性の男か皆目明らかでなかったからだった。だが、「あたしが海に還るまで」には、彼が実は妻子持ちであること、従って男にとって春菊の母は愛人というより妾であったことが明らかにされている。

「養父」が日曜・祭日・盆・正月にいなくなるのは、本宅に帰っているからだった。さらに、彼が熊本大学を出ていること、彼の父と兄は東大出身であること、そして、彼が医者の悪口ばかり言っているのは、薬品会社の営業担当だからということなども明らかにされる。

「養父」は、この続編でも相変わらず横暴を極めている。内田春菊を殴りつけて、「お前の顔を熱湯で焼いてやる」と脅したり、「私は勉強をさぼりました」というプラカードをぶら下げて男子校の前に立たせるぞと脅したりする。それで春菊は男友達を誘って家出して東京に逃げるが、直ぐに連れ戻される。「養父」の不在を狙って、母・妹と一緒に東京に逃げ出したこともある。この時も、「養父」に探し出されて、母子は長崎に戻っている。

家出事件が原因で高校を退学になった内田春菊は、いろいろな職場で働くことになる。写植専門の印刷会社に勤めたこともあるが、職種の多くは喫茶店のウエイトレスだったり、バーのホステスだったりした。何処に行っても「貞操観念のない」春菊は、好ましい男と性関係を持ち、同棲したり、けんか別れしたりしている。

次に「あたしが海に還るまで」から、内田春菊の人柄を躍如と示すエピソードを紹介しよう。トラック運転手をしている依夫が、春菊と同棲するようになって暫くすると暴力を振るうようになった。その日も酒に酔った依夫に殴られた春菊は、部屋から逃げ出したのである。

<・・・・・・・露地を走りながら、このまま帰らなくてもいいと思った。依夫が追いかけてくるのを後ろに感じたが、こっちに酒の入っていないぶん、逃げ切れる自信はあった。

「あっ」
 角を曲がったら、目の前が火事だった。野次馬に取り囲まれたその家からは大きな火柱が立っていた。

「この!」
 見とれていて、依夫に追いつかれた。依夫はその場であたしを殴り、部屋に引きずって行った。>

男から逃げ出しながら、目の前の火事を見ると、危険を忘れて思わずそれに見とれてしまう―――これが、内田春菊なのである。

(つづく)