(写真は内田春菊)
<異端の才女内田春菊(その2)>
「あたしが海に還るまで」を読んでいて気がつくのは、内田春菊が男と深い仲になって行くのに一定の型があるらしいことだ。
普通、女性が男と同棲に踏み切る場合、なにがしかの計算がなされる。同棲すれば破滅することが分かっているような相手と一緒になることはまずない。女性が男に騙されて破滅するケースは跡を絶たないけれども、それも安定を求める女性の性行を逆手にとられてのことなのだ。
女性が安定した生活を望むのは、妊娠して出産するという女の宿命が関係している。ところが、内田春菊は計算抜きで純粋な好奇心から、男と同棲するのである。相手がヤクザで、危険なにおいを発散していたら、女性は普通警戒して近づかない。だが、内田春菊は、ほかの女が忌避する危険なにおいに興味を感じて、相手と深い関係に入るのである。
ウエイトレスやホステスは男性客を相手にしているから、選択範囲が広いように見えるが、彼女らが生地のままで気楽につきあえる男たちは意外に少ないらしいのだ。相手はカウンターの背後で働くコックだったり、職場近くの商店の店員であったりする。
内田春菊は、多くの場合、そうした限られた範囲から男を選んでいる。彼女は、頭の悪い男や面白味のない男が嫌いだからこれらを除外し、そのためさらに狭くなった選択範囲の中から一風変わった男に目をつける。それは「神の好奇心」と呼びたくなるほどの純粋な好奇心から発する選択なのである。春菊に「漫画家、小説家、エッセイスト、女優、歌手」と列挙されるような多彩な才能が育ったのも、彼女にこの神を思わせるような純粋な好奇心があるからなのだ。
私は、彼女がTVの座談会で,いとも気軽な口調で、「代理母になってやってもいい」といったことに驚いたが、春菊は人助けのために発言したのではなかった。他人の子を胎内ではぐくむ感覚はどんなものか知りたかったからであり、代理母になることによって展開するであろう新しい人生に好奇心を感じたからだった。
しかし、こうした好奇心から始まる男との関係が、永続するはずはない。やはり生活を共にする以上は男の側にある程度の生活力がなければならない。だが、男たちは、春菊との共同生活がはじまると働くのを止めたり、彼女の収入を取り上げて自分の道楽につぎ込んだりしはじめる。「あたしが海に還るまで」という作品を読むと、こうしたダメ男が次から次へと出てくるのだ。内田春菊は、よくもまあと感心するほど男選びに失敗しているのである。
男が女のヒモ的性格を明らかにし始めると、彼女の方も黙ってはいない。彼女は、男の犠牲になる気など毛頭ないのだ。内田春菊は、男との関係でとりわけ金銭問題にシビアなのである。彼女は男と同棲するまでは、相手に純粋な興味を感じる。だが、男が彼女の稼ぎをあてにし始めると、最初に感じた相手への興味は失せ、情け容赦のない目で男を眺め始める。
彼女の感情は、相反する二つの極の間を行ったり来たりしているのである。そして、彼女の内部にあるこの相反する対抗軸が、内田春菊を破滅から救っているのだ。彼女は同僚の女性と同性愛の関係になりかけたこともあるし、シンナーの代わりにニスを吸引して依存症になりかけたこともある。これらはいずれも好奇心から出発した行動だったが、彼女は途中から引き返している。
破滅の瀬戸際まで行って、あわやというところで踏みとどまってきた彼女だが、それでも失敗はいくつかある。
春菊は結婚するまでに、異なる男の胤を宿して三回の中絶手術をしているし、男たちから袋叩きにされたこともある。内田春菊を袋叩きにしたのは、トラック運転手の依夫とその仲間たちだった。春菊が依夫との生活に我慢できなくなって家を飛び出したとき、ある夜、依夫は二人の仲間を連れて彼女の働いている店にあらわれた。
彼らは、はじめ、「黙って出て行くなんて、ひどいじゃないか」と泣き言を並べていたが、春菊が受け流していると、依夫は、「この伝票、多めにつけただろう」と勘定のことまで文句をつけはじめた。ゴタゴタが起こるのを嫌った店の支配人は、春菊を帰宅させた。すると依夫たちが後を追ってきたのである。これに続く場面を、春菊はこう書いている。
<後ろから依夫たちがついてきた。
「何よ。もう関係ないでしょ」
あたしはどんどん先へ行こうとした。
「まて。まてって言ってるのに」
いきなり髪の毛をつかまれた。しまった、と思ったときは遅かった。あたしは狭い露地に引きずり込まれ、依夫たちに袋叩きにされた。何度も目の前に星が散った。あたしとも共通の友人だったはずの二人も、依夫につきあってあたしの腹を蹴ったり、顔を殴った。>
近くを通行人が通ったが、女一人を三人の男が殴ったり蹴ったりしているのを見ても、誰も助けてくれない。
散々暴力を振るったあとで、依夫は、「これから又俺と暮らすんだ」という。内田春菊は、しおらしくうなずいて相手を油断させ、隙を見て再び店に逃げ戻る。依夫たちも追いかけてきたが、店にいる客やマスターを見て引き上げていった。
<その晩はマスターの家に泊まることになった。・・・・・ママは氷水に浸したタオルであたしの顔を冷やしてくれたが、何度も殴られた顔はあとからあとからふくれあがり、夜中には目が開かなくなった。
鼻血で鼻が詰まって、うまくしゃべることも出来なかった。あたしは、この顔もとに戻
るんだろうか、と気が遠くなった。髪の毛をさわると、ごっそりと抜けた。何度も掴んで振り回されたからだ。>
内田春菊は、結婚するまでの数年間をフリーセックスの日常を送っていたのだった。彼女には住むところがない時期があり、そんなときには男であれ女であれ、仲間の部屋に転がり込んで泊めてもらった。逆に、自分の部屋を持つようになってからは、自室に仲間を泊めてやったり、複数の仲間を迎えて雑魚寝をしたりした。
そういうときに、春菊たちは、あまり抵抗感なくセックスをしている。彼らにとって、セックスは特別のタブーによって守られている神聖な行為などではなく、単なるコミュニケーションの一種であって、仲間同士の挨拶みたいなものなのである。こうした日常を続けているうちにダメになっていく女も多かったが、春菊は最後まで自己を保持し続けた。これらを素材にして漫画や小説を書くことで自分を客観視することが出来たからだった。
―――書庫から「まれに見るバカ女」という文庫本が出てきたので読んでみた。この本は、37人もの女性を取り上げているので、一人一人に割り当てられたスペースは少ししかなく、内田春菊の項も数ページしかなかった。
内田春菊を取り上げたライターは、男を好きになっては、その後で相手をこき下ろす彼女の手法に焦点を当て、「結婚前に美点だった(男の)すべてがちゃぶ台返しされて、恨みに変換される」などと書いている。
例えば彼は、春菊が結婚後に夫についてこう書いていると具体例を挙げる。
<夫は何でもこまめにやってくれる人だから、ほんとにいろんなことをまかせているんです。何を食べるとかお金の使い方とかスケジュールとか全部ね(「悪女な奥さん」)>
だが、暫くすると春菊のちゃぶ台返しが始まると、以下の文章を引用する。
<太田(注:夫)が家事をやっていたのは、私の時間のすべてを仕事に使ってほしくて、つまりそれを全部お金に変えようとしていたから(「犬の方が嫉妬深い」)>
確かに、ちゃぶ台返しを繰り返す彼女の行動は褒められたものではない。だが、既述のように旺盛な好奇心を持ち、結果を度外視して興味のある対象にのめり込んで行く内田春菊は、ちゃぶ台返しをして途中から引き返さなければ破滅してしまうのだ。
広津和郎は好奇心が強く、新しく知り合った知人を褒めあげるので、まわりでは「また広津の勲章授与がはじまった」といっていた。暫くすると、広津は相手への失望を語るようになるので、まわりの者は「ああ、広津は勲章を取りあげたね」と語り合ったという。
男には破滅型というタイプがあり、好ましい対象にのめり込んで死に至ることもある。が、内田春菊は女の本能から踏みとどまり、反転してちゃぶ台返しの挙に出るのだ。女の本能を母性と言い換えてもいい。彼女は豊かな母性を備え、現実に何人もの子どもの母なのである。
その昔、彼女の母は娘の春菊を犠牲にして男を繋ぎ止めようとした。けれども、彼女は逆に子どもを守るために男を犠牲にするのだ。
彼女の内部にある矛盾した二つの極―――一つは好奇心であり、もう一つは母性であって、彼女がこの両極の間を行ったり来たりしている間に、作品が次から次へと生み出されるのではなかろうか。