甘口辛口

盧武鉉の死

2009/5/26(火) 午後 1:14

<盧武鉉の死>

韓国の前大統領盧武鉉は、人を感動させるような経歴を持っている。
彼は貧しい農家に生まれた。そのため、高校を出たものの大学に進む学費がなかった。それで、彼は独学で勉強して司法試験にパスし、弁護士になったのだった。弁護士になってからは、「人権派弁護士」として庶民を虐げる権力と戦い、国会議員になると今度は政治家の不正資金疑惑を徹底的に追求して、時の権力者らに恐れられた。

こういう盧武鉉を「苦学生」代表とするなら、米国のブッシュやわが国の麻生首相は「ぐうだら学生」の代表といっていいのではないか。ブッシュは学生時代に本も新聞も読まなかった怠け者だし、麻生首相も学習院大学時代はヨットやクレー射撃で遊び暮らし、大学の成績はビリに近かった。

苦労知らずで努力することの嫌いなブッシュ・麻生は、一国のリーダーになっても、手っ取り早く国民の人気を集めようと大衆迎合の政策を打ち出している。ブッシュは、マッチョぶりを誇示するためイラク戦争を始めたし、麻生太郎は国民を籠絡すべくバラマキ予算を編成した。二人は、民衆の低い欲求に媚びる政治家だったのである。

ブッシュ・麻生が、国民の遅れた意識を利用したのに対し、盧武鉉は古い秩序や既存のモラルと闘って、韓国に新しい政治体質を根付かせる困難な作業に乗り出している。新聞記事を引用すれば、彼のやったことはこうなる。

 慮氏は03年2月、政治改革
を訴えて第16代大統領に就任
した。自らがその先頭に立つ
ため、権力の乱用を自制する
姿勢を打ち出した。歴代大統
領が行ってきた情報機関、国
家情報院トップによる定例ブ
リーフを廃止。刑事訴訟法の
改正などを進め、検察の権限
に制限をかけた。人と面会す
る時には必ず陪席者をつけ、
記録を必ず残した。

 「政治とカネ」の問題は、
慮氏が最も力を入れた改革の
課題だった。

この記事の中で注目すべきは、「人と面会するときには必ず陪席者をつけ、記録を必ず残した」という部分だ。国会議員時代に不正な政治資金を鋭く追求して、クリーンなイメージを売り物にしてきた彼は、かりそめにも国民から疑惑を持たれるような行動を避け、一対一で客と面会するようなときには、その場に第三者を同席させたのである。そして、何を話し合ったかを記録に残した。

にもかかわらず、盧武鉉は夫人の金銭授受疑惑に関連して司直の追求を受けることになった。政治家本人はクリーンに身を持していても、妻が誘惑の負けて不正な金を受け取ってしまうという例は少なくない。金丸信は、不正献金100億円を蓄えていたといわれるけれども、側近の議員がTVで弁明するのを聞いていたら、これはすべて金丸夫人がしたことだという。盧武鉉は妻のために汚名を着たが、決して妻を責めてはいない。

私は彼が竹島問題で日本を攻撃するまでは、盧武鉉をひそかに支持していた。彼は北朝鮮に対して太陽政策を取ったことで、日本・アメリカとの関係を悪化させたが、どんな国に対しても友好的な態度で接するのが外交の基本なのである。小泉首相の靖国参拝問題や教科書問題で日韓が対立したときにも、彼は日本側にローカルな論理に基づいて行動するのではなく、世界の誰もが認める普遍的な論理に従って行動することを求めていた。これなどは、韓国民の目には弱腰に見えたかも知れない。だが、これこそ、一国の指導者が取るべきまっとうな態度だったのである。

ところが、大統領の任期が終わりに近づくと、盧武鉉は悪評に包まれるようになり、何か悪いことが起きると、皆が「盧武鉉のせいだ」と合唱するようになった。追いつめられた彼は、晩節を汚すような行動に出たのだ。竹島問題に関連して、日本を感情的な態度で攻撃し始めたのである。

自国内に他国に対する敵意が充満し、戦争直前の状況になっても、首相や大統領は相手国を露骨に攻撃すべきではない。戦争を回避する一筋のルートだけは残して置かなくてはならないからだ。人気取りのために首相や大統領が先頭に立って国民を扇動し始めたら、もう政治家失格というしかなくなる。盧武鉉がそれに類することを始めたのを見て、彼に対して好意的だった人々も、ついに彼を見放してしまったのである。

だが、彼はナイーブな男だったから、遺書の冒頭に、「あまりに多くの人々に迷惑をかけた」と記して詫びている。彼が得たとされる6億1000万円は、元大統領の全斗煥が手にした150億円に比べたら僅かな金額でしかないが、彼は心の底から恥じていたのだ。

盧武鉉の一生を眺めると、純情な男が理想を求めて走り続けた62年間だったという気がする。その最後は、あまりにも哀れである。