<今日の「ひととき」>
今日の「ひととき」(朝日新聞「生活欄」)は、「ご飯食べさせる幸せ」と題するもので、書き出しは次のようになっている。
子どもがまだ小さいと
き、ご飯をつくりながら戯
れに「お母さんが死んだら
どうする?」ときいてみた
ことがある。子どもたちは
べそをかきながら、「ごは
んはどうなるの?」と言っ
た。あーあ、私は飯炊きば
あさんか、とがっかりした
ものだ。
母親が死んだら、誰がご飯を食べさせてくれるかと子供が心配するとしたら、この家は問題のない平穏な家庭なのである。多事多難な家で育つ子供は、食べること以外にも深刻な問題を抱えているから、借金取りがきたらどうしようとか、酒乱の父親を誰がなだめてくれるかというようなことを心配しなければならない。
筆者の渡辺のぞみさんも、70才になると人生経験が豊かになって、飯炊きばあさんであることの幸せを噛みしめるようになる。
70歳の今になってみる
と、子どもたちの言葉は真
実で、小さい子どもにご飯
を食べさせるより大切なこ
とがあろうとは思われな
い。
こうした現実認識のほかに、女性は子供たちにご飯を食べさせてやることの幸せを実感できるようになるのだ。
夏休みに孫たちが遊びに
来てくれた。中学1年生と
小学4年生の男の子。ギョ
ーザや豚肉のしょうが焼き
など、おばあちゃんの簡単
料理を作る端からバクバク
と食べてくれた。おいしそ
うに食べる孫を見ている
と、私も幸せな気持ちにな
る。
そして、幼いものたちに食べさせることの幸せを実感すると、想いはつらい戦中戦後の思い出に飛ぶのである。
子どもってこんなに食べ
るんだもの、戦中戦後、食
糧難で子どもに食べさせら
れなかった親たちは、どん
なにかつらかっただろう。
そして今も、十分に食べら
れない子ども、食べさせて
やれない親が世界中にたく
さんいる。
さて、このいかにも女性らしいやさしい文章を読むと、「女房の任務は、亭主をして飢えさせなければ、それで足りる」という亭主関白時代に生きた男の述懐が思い出されるのだ。妻のサービスを際限なく要求し続けた昔の男の、これは自戒の言葉なのである。
わが家の子供が小学生だった頃に、両親が家庭でどのように家事を分担しているかを調べたノートを家庭科担当の女教師に提出したことがある。そのノートは、担当の先生の感想が赤ペンで記入されて返されてきたが、それには憤慨に堪えないという筆致で、「あなたのお父さんは、家では何もしないのですね」と書いてあった。一言もなかった。私は、家ではすべてを妻に任せきりで自分では何もしなかったからである。
その辺を重々反省していたから、私は80前後の兄弟姉妹が集まった「きょうだい会」で、「オレは、まあ、家内に生かされて来たようなもので──」と白状してしまったのだ。この時、「生かされている」具体的内容としてこちらが頭に想い浮かべていたのは、おさなごがそうであるように、妻に「日々のご飯を食べさせてもらっている」ことだった。
実際、生まれてきて母親にご飯を食べさせてもらい、結婚して妻にご飯を食べさせてもらう男とはいったい何者だろうかと考えることがある。特に、私の場合は病み上がりの身で、33才のとき、それまで見たこともなかった何処かの娘と見合いして結婚したのである。小学校の教員をしていたこの娘は、厳しい家庭でしつけられて給料を貰うと袋のまま親に渡し、必要なものがあった時にだけ、その分の金を親から出してもらっていた。
こういう我慢強い妻に全面的に依存して生きてきた横着亭主としては、最後の部分を読んで救われたような気がするのである。
孫たちが帰ってしーんと
した我が家。時々面倒にな
るけれど、おじいちゃんと
2人のささやかなご飯を今
日もがんばってつくりまし
ょう。