甘口辛口

坂口安吾の謎(その5)

2009/10/3(土) 午後 6:43

 (矢田津世子)

坂口安吾の謎(その5)


これまでに述べようとしてきたのは、坂口安吾という作家の二面性についてだった。

安吾はおのれの信じるところを歯に衣着せず語る男性的な作家だとされて来た。確かに、彼は大河が一本の流路を流れ下るような力強い調子で、エッセーや小説を書いているけれども、箸にも棒にもかからない悪作も多く、この秀作と悪作の対比が彼の二面性を反映しているように思われるのである。安吾に限らず、すべての作家に失敗作はある。が、彼ほど多くの失敗作を量産している者はいない。たとえば、「吹雪物語」である。安吾ファンを自称する読者でも、この長編小説を最後まで読み通したものは僅かしかいないのではなかろうか。

奥野健男は、「吹雪物語」が読みにくい理由を安吾が時間の流れや因果律を無視した書き方をしているからだと説明している。安吾作品のうちで一度読み始めたら止まらなくなるものは、彼が合理主義者として因果関係と論理をしっかり押さえた書き方をしている作品なのだ。ところが、「吹雪物語」をはじめとする多くの悪作は、物語が時間軸に沿って進行せず、登場人物が原因・結果の法則を無視した奇怪な動き方をするから、読者はついて行けなくなるのである。

雑誌編集者として多くの作家とふれあった古山高麗雄は、「安吾は他の作家にはない、強烈な独特な雰囲気を感じさせる作家であった」と書いている。それは安吾作品を読んだときに感じる強烈な迫力を、そのまま人間に移して視覚化したように思わせるものだったという。

接するものに男性的な精気を感じさせる安吾の性格には、ひ弱な下部構造があり、そこにおびただしい感情や情念が未整理のままに温存されていて、これが作品に露頂すると見るも無惨な悪作になる。安吾が「切なさ」とか「悲しみ」というような言葉を頻繁に使用するのも、自身の感情を整理できないでいるからだ。

こういう混沌状態にある内面に方向性を与えてくれるのが、(「聖母」という意味での)マドンナなのである。安吾が子供だった頃の義姉、成長してからの母、代用教員時代の女教師、新進作家時代の矢田津世子などは、彼が憧憬の目を向けたマドンナだった。安吾が作品の中で彼女らへの賛歌を歌いあげると、不思議に作品に安定感がうまれ、まとまりが出てくる。雑然とした安吾の感情がマドンナ思慕という上位感情の下方に位置づけられ、それぞれにところを得たような印象を与えるからだ。

自伝的な作品を含むすべての安吾作品に見られるのは、女性に対する激しい侮蔑の念であり、「白痴」に登場するヒロインは、彼が抱いている女性像を象徴するものだった。安吾は、女性には自己愛と淫欲があるだけで、世の中についても人間についても白痴に近いほど無関心だと見ている。だから、聖性を感じさせる女性に出会うと無条件で引きこまれ、そのイメージを抱きしめていると、安吾は自分が高められたような気になったのだ。

安吾が初めて矢田津世子に会ったのは、ウインザーという酒場だった。安吾はその出会いについて、「私と英倫(注:安吾の友人の加藤英倫)とほかに誰かとウインザアで飲んでいた。そのとき、矢田津世子が男の人と連れだって、ウインザアへやってきた。英倫が紹介した。それから二三日後、英倫と矢田津世子が連れだって私の家へ遊びにきた。それが私達の知り合った始まりであった」と書いてる。

安吾は、一目見て矢田津世子に夢中になった。

矢田津世子は色白で背がすらっと高く、男顔をした美女だったといわれる。彼女の兄は、第一高等学校から東大に進んだ秀才で、津世子も兄に似て聡明な才媛だった。初めて安吾の家を訪れた津世子は、フランスの小説本を忘れていった。これを見て安吾は、彼女が彼との関係を深めるためにわざと忘れていったのではないかと、思い悩むことになるのだ。

二、三日後、安吾のところに矢田津世子から、「遊びに来てほしい」という誘いの手紙が来る。喜び勇んで津世子宅を訪問すると、津世子の母親も出てきて歓待してくれる。話をしているうちに、矢田家の親戚が安吾の実家の近くに住んでいること、そして、その親戚と安吾の父が親しいことも分かってきた。

安吾は書いている──「私は遊びに行った初めての日、母と娘にかこまれ、家族の一人のような食卓で、酒を飲まされてくつろいでいた」

津世子と親しくなった安吾は、彼女に誘われて同人雑誌「桜」に加入し、その面でもつきあいを重ねるようになる。この時点では、安吾が新進作家として注目されているのに対して、津世子は新聞や雑誌に短文を書いている程度で、まだ作家としては認められていなかった。従って津世子には、世に出るために安吾の力を借りたいという気持があったと思われる。その点では、津世子には前科があるのである。

安吾は知らなかったが、矢田津世子は「時事新報」の社会部長和田日出吉の愛人になり、日曜ごとに既婚者の和田と密会していたのだ。その上、彼女は女流作家の大谷藤子と同性愛に近い関係を持っていた。

だが、津世子は和田との関係も、大谷との関係も、深刻なものにならないように配慮していた。和田は津世子と結婚するために妻との離婚を考えていたが、津世子はそうした和田に同意しなかったといわれるし、津世子に惚れ込んだ大谷がレズビアンとして肉体関係を望んだが津世子は拒否したといわれる。

こうした風評を耳にした大岡昇平は、矢田津世子を「札付きの女流作家」と呼び、彼女は東京で有名な文壇ゴロと情事を持ち、作家として売り出そうとしているため「トイフェル(悪魔)」と仇名されていると書いている(以上は「評伝 坂口安吾」七北数人著による)。

「評伝 坂口安吾」の著者七北数人は、津世子と親しかった作家たちが一致して彼女は非常にストイックで生真面目な性格だったと証言していることを記した後で、次のように述べている。

<安吾はすべてを捨てても惜しくないほど惚れていたようだが、矢田のほうは「作家」坂口安吾を尊敬し、互いを高め合う関係を求めていたように感じられる。常に物静かで宴会でも全く羽目をはずすことがなかったと伝えられる矢田には、溺れるような恋愛はできなかったのかもしれない。>

津世子が、「互いを高め合う関係を求めていた」というのは疑問がある。安吾によれば、宿泊を伴う旅行を求めてきたのは津世子の方であって、その提案に応えることを安吾は回避しているからだ。「互いを高め合う」ことを望んでいたのは安吾の方だった。津世子宛に書かれた安吾の手紙に色恋のにおいはほとんどなく、「お互いに励まし合いましょう。勇気と光を失わないように、力をつけ合って、うんと勉強しましょう」というような文面ばかり並んでいるからだ。

安吾と津世子がプラトニックな関係を続けているうちに、文壇における二人の立場が変わってくるのだ。安吾が停滞している間に、津世子への評価が高くなり、芥川賞の候補になったり、作品集がベストセラーになったりし始めたのである。