<日本人の病癖(その2)>
敗戦後の日本をリードした吉田茂の周辺には、党人派と呼ばれる代議士(広川弘禅、大野伴睦など)が何人もいた。だが、吉田は彼らをあまり重視しないで、官僚出身の池田勇人や佐藤栄作を重要閣僚に登用した。
池田勇人や佐藤栄作は吉田に引き抜かれるまでは、官僚としてもそれほど目立つ存在ではなかった。が、閣僚に抜擢されると辣腕を発揮して、後にそれぞれ首相になっている。一体、吉田はこういう有為な人材をどのようにして発掘したのだろうか。
吉田茂は九州の麻生財閥と姻戚関係にあるほかに、多くの財界人とも親交があった。伝えられるところでは、吉田は親しくしている財界人の推薦する官僚を要職につけていたという。つまり、池田勇人も佐藤栄作も、財界人から信頼されていたことで.政界における活躍の場を与えられたのである。
では、どうして池田らは財界のお気に入りになったのか。
池田も佐藤も、これはと思う財界人から陳情を受けると、「何とかしましょう」と約束し、あらゆる手段を使って依頼を実現すべく努力したらしい。ほかの官僚は陳情を受けても、それを実現するのが困難だと知ると手を引いてしまうのに、池田らはとことん粘り抜いて頼まれたことにちゃんと目鼻をつけてやったのだ。たから、彼らは、「あいつは、頼りになる男だ」ということになったのだ。
小沢一郎が田中角栄に認められたのも、小沢が田中の為とあらば、どんな無理をしてでも仕事をやり遂げたからだった。田中角栄のまわりにはおびただしい代議士が群がって、親分の恩顧を得ようと争っていたが、誰も小沢一郎のように徹底して田中に忠勤を尽くすものはいなかった。彼は自尊心をかなぐり捨て、封建時代の下僕のように田中に仕えたのである。田中が亡くなると、小沢は金丸信にも、犬馬の労を尽くした。
現在でも、小沢は民主党の選挙担当者になれば、目的を達するまで東奔西走して「剛腕」を振るっている。彼はそれと同じ調子で、「剛腕」を振るって田中角栄と金丸信に仕えたのだった。田中角栄が訴追されると、小沢一郎はその裁判に一度も欠かすことなく傍聴していたといわれる。
こうして池田・佐藤・小沢を見てくると、主人のために身を粉にして働く下僕のイメージが浮かんでくる。けれども、池田や佐藤が仕えたのは、近代的な感覚を備えた財界の首脳や吉田茂だったのに対し、小沢が使えたのは土俗的な田中や金丸だったという違いがあるのだ。
田中角栄やその大番頭だった金丸信は、金の力と数の力を過信して、金集めと派閥作りに専念した。そういう二人のボスに仕えた小沢一郎は、ボスたちの轍を踏むまいと警戒していたといわれる。だが、彼がやっていることは、田中・金丸がしてきたこととそっくり同じだったのである。
下僕のようにボスに仕えたものは、自らがボスになるとボスの短所をそのまま受け継いで権勢を誇示するようになる。そして、自分の膝下に集まってくる子分たちに、下僕のように仕えることを求めるのだ。
このような下僕意識がなぜ日本人特有の病癖かといえば、日本以外の主要国にはこうしたことがあまり見られないからだ。欧米の政界にも、ボスに忠誠を誓う部下はいる。が、部下はブレーンとしてボスにさまざまな献策をしているだけで、人格まで売り渡してはいない。主従の関係は、あくまで対等なのである。
坂本龍馬と福沢諭吉が、人間平等を説き、独立自尊を強調したのは、主従関係の中に下僕根性が入り込んでくることを警戒したからだった。龍馬と諭吉は、大体、「主従」とか、「君臣」という観念が存続していること自体がおかしいと、考えていたのだ。
・・・・・・昨日の名護市長選挙では、辺野古基地建設に反対する民意が表明された。
日本国内には、米軍の基地を受け入れようとするところはどこにもないのだ。としたら、政府は米軍の基地を撤去することを要求すべきではなかろうか。わが国は、アメリカの下僕ではないのだから。