<「見神体験」のあと(その4)>
・・・・・「単純な生活」からの引用はこれくらいにして、「見神体験」のあとに何が起こったかという本題に戻りたい。端的にいえば、「物語を捨てて、事実へ」という意識の転換が起きたのである。
人は呑み込みにくい現実や理解できない現象にぶつかると、物語を作ってそれを受容しようとする。たとえば、大地震で被害を受けると、これは人間の奢りに対する天罰だというようなことを考える。これが物語なのだ。
福音書に描かれているイエスの生涯にも、信者にとって到底受け入れがたい事実がいろいろと含まれているから、教会は苦い薬を子供に服用させるときにオブラードに包んで呑ませるように、イエスに関する物語を作って信者に信じ込ませてきたのである。
信者にとって、イエスが性行為によって生まれてきたことは受け入れ難いことだった。だから、処女懐胎という物語が作られ、さらに母マリアの聖性を保証するために、イエスと同居していた弟たちは、実は聖母マリアの産んだ子供ではなかったとされたのである。
倫理社会の授業で、イエスに兄弟がいたという話をしたら、女生徒に抗議された。彼女は教会に通っているけれども、イエスに弟がいたなどという話は聞いたことがないというのだ。それで、聖書を取り出して、イエスが弟子たちを連れて帰郷した場面を描写した一節を示したら、生徒は腑に落ちないような顔をして帰って行った。
その生徒は、教会の牧師にこの点について聞きただしたらしかった。翌日やってきた生徒によると、聖書にイエスの弟とあるのは従兄弟のことで、当時のイスラエルでは従兄弟のことを兄弟と表記する慣習があったというのである。その牧師の話なるものは、にわかには信じられなかったが、彼女がクリスチャン初心者として、その説明で納得しているのなら、こちらとしては何もいうことはなかった。
教会が作り上げた最も大きな物語は、イエスが犯罪者と一緒に処刑されたという事実をカバーするために、教会が考案した自己犠牲説話ではなかろうか。処刑後に葬られたイエスが復活して、墓がもぬけの殻になっていたという物語も作られているけれども、その方ではなく、イエスが人類の罪を贖うために、自ら望んで処刑されたという物語の方なのだ。
およそ、世界に数ある宗教のうちで、犯罪者とともに処刑された男を開祖にしているような不思議な宗教が他にあるとは思えない。さまざまな奇跡を行ってきたイエスなのだから、いくらでも処刑を逃れる方法があったはずなのに、彼はあっさり死罪になっているのだ。
しかし、イエスの死に関する疑念は、彼が自ら望んで処刑されたとすれば、一挙に氷解する。イエスが人類のために自ら死を選んだのなら、彼は自分をすら救えなかった惨めな無能力者から、人類最高の英雄にまで格上げされるのである。そして彼はすべての人々の救済者になった。人間の原罪は、イエスの死によってすでに償われているので、罪多きわれらは神に謝罪する代わりにイエスに感謝していればよいことになったのだ。これほど、鮮やかにマイナスをプラスに逆転させた物語はほかにあるだろうか。
私は、「光体験」の前まで、イエスが人類の罪を贖うために甘んじて処刑されたというキリスト教の教理を受容していた。だが、体験後は、もっとリアルなイエス像を求めるようになったのだった。思想集団や宗教集団は、発展期のあとには大抵当局の弾圧を機に衰退期に入る。洗礼者ヨハネの教団はそのようにして衰退し、その後継であるイエスの教団も、今やヨハネ教団と同じ運命をたどることになったのだ。
最初、当局の追求を逃れてイエスの一行は地方に隠れていたが、やがてイエスはエルサレムに乗り込んで反対勢力と正面から対決することを決意する。弟子たちは、「うちの先生が決心したからには、勝利は約束されたようなものだ」と沸き立ったが、鋭敏なイエスは一抹の不安を消し去ることができなかった。エルサレムに近づくにつれて、不安はいよいよ強くなった。
エルサレムに入ったイエスは、ヒステリックな行動によって民衆の疑惑を招いてしまう。群衆を前にして行った彼の説教には、普段の力強さがなかった。イエスは、破滅の瞬間が刻一刻迫っていることを感じた。処刑される直前に、彼は思わず天を仰いで叫んでしまうのだ、「主よ、私をどうして見捨てたのですか」と。
イエスは、それまで自らの直感に従って行動してきた。直感に従って行動しながら、彼は自分の行動は神によって支持されていると信じていた。だが、エルサレム入城の前後から、彼の胸に初めて疑惑が兆しはじめていたのだった。
(神は本当に自分の行動を支持しているのだろうか)
イエスは決定的な瞬間に、自分は神の代弁者だという自信を失ってしまったのである。
釈迦がタフ・マインドだったとしたら、イエスはテンダー・マインドの持ち主であり、人間としての弱さを多分に持ち合わせていた。だからこそ、後世の信者たちからも愛されてきたのだ。釈迦もマホメットも、イエスのようには信者たちから愛されていない。クリスチャンの娘たちは、「イエスの花嫁」になるために生涯純潔を誓って尼僧院に入ったりするが、仏教徒やイスラム教徒の娘たちが、自らを開祖の花嫁になぞらえて独身を守ったというような話を聞いたことがない。
私は「体験」後しばらくの間は神を信じ、現世を照らす神の浄光を身に感じていた。だが、私が信じる神は、神殿の中にヤドカリのように棲息するガス状の脊椎動物ではなかった。宇宙を包摂する見えざる愛と意志のようなものだった。
マザー・テレサは、「すべての人間は、神に望まれてこの世に生まれてきた」という。しかし、人間は親たちの動物的な性行動の結果として生まれてくるのであり、私が私として此処にあるのは、数百の精子と数百の卵子のうちのあるものが、偶然結びついた結果に過ぎない。私たちが、男あるいは女として生まれてきたことのどこにも必然性はない。人はまるで冗談のようにしてこの世に生まれてきて、他の生命を日夜奪いながら、限られた寿命を生きているのである。
科学の目から見れば個々の人のいのちなど、たいした意味はない。だから、マザー・テレサはこうした冷たい現実に対抗するために、神を持ち出して美しい物語を作ったのだ。
だが、科学は本当に物事を非情な目で冷酷に見ているのだろうか。
狩野享吉は、科学ほど物事を愛の目で見るものはないといっている。彼は科学の背後には博愛精神があるというのである。確かに科学者は私心を捨てて、研究対象をあるがままに見ようとする。彼らはすべての自然現象を公平にとらえ、対象の本質を明らかにして行くのだから、科学者ほどすべてのものを愛している者はいないのである。
にもかかわらず、私たちが科学の目は冷たいと考えてしまうのは、自己愛を本質とするエゴの視点で、科学的自然を見るからなのだ。科学者の立場からすれば、人は精子と卵子の偶然の結合によって生じる。この視点からは、生まれ出た個体に賢愚美醜の差はない。科学は、世俗的な価値評価を超越して、すべてを一視同仁の態度で受容する。
ここで表自己と裏自己という用語を持ってきて説明すれば、表自己は世俗的な価値にとらわれ、自分を喜ばす欺罔の物語世界に住んでいる。そこには狭い私愛しかない。
この表自己の裏側には、物語に毒されない裏自己があって、ありのままの事実を目にしている。そして、この広大な事実世界に無私の愛を注いでいるのだ。
高校生に自分の至高体験について書いてもらったときに、祖母の死を取り上げた生徒がいた。死が迫っていることを予感した祖母は、普段、倹約家だったのに惜しげもなく自分の金を孫にくれるようになった。そして、二人の孫がそばにいることを求めるようになった。そして、ぽつりと、「死にたくない」とつぶやいたりした。その生徒は、そんな祖母に密着して生きていたから、祖母が亡くなったときに、「私は人間の死を身をもって体験した」と感じ、そのことを自分の最高の体験だと思ったのである(https://amidado.jpn.org/kaze/exp/love.htmlの「祖母の死」を参照)。
この生徒は、祖母の死を通して、(人間はこのようにして死んでいくのだ)という事実に触れた。最愛の祖母の死を、この事実の中に置いて眺めていると、これまで知っていた悲しみとは別種の深い悲しみを感じ、この人間世を受け入れる心の容量が広がったように思ったのだ。
利己的なエゴを満足させるために案出された物語が剥げ落ちれば、その背後から事実唯真の世界が出現する。人は自己愛の世界を抜け出て、存在するものすべてを愛する全体愛の世界に出るのである。
「体験」以後キリスト教を含むすべての宗教に対する見方が変わったが、同時に共産主義への見方も徐々に変わりはじめた。時代はまだ東西冷戦の時期だったから、反共キャンペーンが盛んで、その種の本が書店に溢れていた。だから、シベリアで抑留されていた高杉一郎の手記「極光のかげで」のような本が評判になった時にも、私はこれも反共ものだろうと決め込んで頭から無視していたのだ。それが、何時しか「極光のかげで」に目を通すようになり、中国に文化大革命がはじまると、「ワイルド・スワン」も読むようになっていた。アナーキズムに向かう道が開けて来たのである。