甘口辛口

パソコンで見る画集

2010/2/4(木) 午後 8:17

<パソコンで見る画集>


以前にここに書いたのだが、時々奮発して大型の画集を買うことがあっても、これを見るのに難渋していたのだった。理由は私に腰痛があるからで、机上に本や画集を置いて前こごみになってページを繰っていると、必ず腰が痛んでくる。そこで本や新聞は書見器にかけて仰臥して読むことにしている。が、画集はそういうわけにはいかない。先日、向井潤吉の民家を描いた画集を手に入れ、あまり重いので重量を量ってみたら一冊で何と7キロあった。

けれども、もし画集の中の作品をテレビに取り込んで液晶画面上で眺めることができるようになれば、これらの困難は解消するのである。

そこで画集の絵をスキャナを使ってパソコンに取り込み、これを液晶テレビに転送してみたところ、スキャナの解像度が低いせいか、テレビに映し出された画像はキメが荒くて、とても見る気になれなかった。

スキャナが使えないということになれば、作品を一枚ずつカメラに写して、それをパソコンに取り込むしかない。しかし、これは一人の力ではどうにもならないのだ。開いた画集が反り返ってしまうから、誰かに本を押さえていて貰う必要がある。そこで家内に押さえていて貰ったり、息子一家が遊びに来たのをつかまえて、この仕事を頼んだりしていたが、何時までも他人の手を患わしている訳にもいかない。

それで、もっと解像度の高いスキャナを購入した。すると、他人の手を借りずに簡単に画集をパソコンに取り込み、DVDに焼き付けることができるようになった。こうしてDVDに焼き付けた東山魁夷、向井潤吉、ワイエスなどの画集が続々と生産されることになった。

上段の写真は、32インチの液晶テレビに向井潤吉の作品を映したところである。壁に寄りかかりながら、リモコンを使って作品を一つ一つ見て行くと、ひどく贅沢なことをしているような気になる。

近頃は、午後のひとときをステレオでモーツアルトやアンデス民謡を聴きながら、パソコン経由の画集をゆっくり鑑賞する日が続いている。すると、自分がこれまで軽蔑して来たディレッタントになったように思われ、苦い笑いがこみ上げてくる。私は、面白そうなものには何でも飛びつくエピクロスの徒であるけれども、やに下がったディレッタントにだけはなりたくないと思っていたのだ。

人間の一生は、おかしなものだと思う。私はホームレスになって,やがては野垂れ死にするものと覚悟していた。にもかかわらず、まがいもののディレッタントになって、暖かな自室でのんびりと「芸術」を楽しんでいるのだ。どうやら、野垂れ死にを覚悟したことで、そうなるまいとする意識下の努力が続けられていたらしいのである。