甘口辛口

漱石の長女をめぐる三角関係

2010/2/8(月) 午前 11:00

   (松岡讓夫妻)


<漱石の長女をめぐる三角関係>


世に「破船」事件と呼ばれた有名な話がある。漱石の長女である夏目筆子を、久米正雄と松岡讓が争った事件で、年配の日本人なら誰でも知っている話だ。

この事件がなぜこんなに広く世に知れ渡ったかといえば、戦前の改造社版「日本文学全集」のなかの一冊に、この事件をテーマにした久米正雄の作品「破船」が採録されていたからだった。何しろ改造社の文学全集は空前の売れ行きだったから、当然「破船」は凡百の人々の目に触れ、漱石の長女をめぐる三角関係は話題の的になったのだった。

私が「破船」を読んだのも、家にあった改造社の全集からだった。夏目漱石の作品を8割がた読み終えた旧制中学4年生のころだったから、いろいろな意味でこの小説は面白かった。漱石の長女をめぐる三角関係に加えて、漱石の弟子に旧世代と新世代の二つのグループがあったこと.そして、古い世代の弟子、小宮豊隆・森田草平・鈴木三重吉・安部能成・野上豊一郎らが、若い世代の弟子、芥川龍之介・久米正雄・松岡讓・和辻哲郎・林原耕三などのうちで芥川と和辻の二人を特に高く評価していたこと、などが明らかになって興味があったのである。

久米は、この作品を書くに当たって登場人物の実名を伏せている。だが、読んでいて主要人物の名前が大体分かったところを見ると、あの頃の私は漱石周辺の人間たちの相互関係についてかなりの知識を持っていたらしい。私は、学校の図書室から夏目鏡子の口述筆記「漱石の思い出」やら、漱石の評伝などを借り出して一通り読んでいたのだ。

「破船」を通読して一番ショックだったのは、漱石の長女がコタツの中で久米正雄の手を握ったというくだりだった。夏目家の令嬢が、周囲の目を盗んで、ひそかに久米の手を握ったのである。このことが本当なら、夏目筆子をめぐる三角関係は、筆子自身に責任があることになる。彼女はまず久米正雄に働きかけて彼を夢中にさせ、その後で愛情を松岡讓に移したのだ。

「破船」を読んでから七,八年した頃、古本屋で菊池寛の「友と友の間」という本を手に入れた。これは久米と松岡の両方と親しかった菊池寛が、友人二人の争いを眺めながら書いた実録小説で、酷な言い方をすればこれは菊池による観戦記なのである。

菊池寛も芥川龍之介も、漱石の長女にはほとんど関心を払っていなかったし、この三角関係に容喙して問題をさらに複雑なものにした漱石夫人・旧世代の先輩たちの動きについても冷淡だった。だから、芥川はこの件に関して終始沈黙を守っていたし、菊池の実録小説は観戦記のような趣きを呈することになったのだ。

菊池寛の感想によると、男性としての魅力という点では、久米より松岡の方が勝っていたという。久米は6歳の時に、小学校長だった父に自殺されて、母方の実家に引き取られている。父は失火によって各学校に配布されていた天皇の写真を焼いてしまったため、責任を取って死を選んだのだが、こうして父のいない家庭環境で育ったことが影響したのか,久米には弱気なくせに「軽佻浮薄」なところがあり、友人たちから愛されたものの、女性の受けはあまりよくなかった。

松岡の方は、これとは反対の性格だった。彼は家が寺であることを嫌って、大学を卒業後、将来の進路を両親と相談した際、父が自分の跡を継ぐように求めたのに対して住職になることを断固拒否している。父は怒って松岡を勘当扱いにしたが、彼は屈しなかった。こうした経緯を知った久米は、寺から追い出されて自活しなければならなくなった松岡に救いの手を差し伸べている。松岡には、性格の芯に久米にはないストイックな強さがあり、これが女性にとって魅力的だったのだ。

久米が弱気で「微苦笑」をトレードマークにした繊細な男だったのに対して、松岡の方は剛直なタイプだったから、二人は旧制第一高等学校の寮で同室になった時に.相反する性格の故にかえって無二の親友になった。

こう書いてくると、漱石の読者なら思い出すことがあるのではなかろうか。人物配置が、漱石の「心」にそっくりなのである。

漱石の死後、旧世代、新世代の弟子たちが集まって主を失った夏目家をどうやって支えて行くか相談をして、独身の若い弟子たちが交代で夏目家に泊まり込む手配をしている。芥川龍之介などは、このときには海軍機関学校の教官をしていたから泊まり込み要員になることはなかったが、筆子と親しくなった久米正雄は頻繁に夏目家に出入りし、そのまま泊まり込むことが多かった。漱石未亡人の鏡子も腰の軽い久米を便利に思って、彼を夏目家の入り婿のように扱っていた。

(この辺は鴎外亡き後の森家と全然違っている。森家には鴎外の死後、訪ねてくる友人も弟子もなかったから、未亡人と娘は急にひっそりした屋敷の中で毎日泣いてばかりいた。この違いは、主として漱石・鴎外の未亡人の人柄から来ている。漱石夫人には親分気質のようなものがあって、来訪してくる弟子たちを歓迎しただけでなく、彼らを連れ出して食事を奢ってやったりしていた。鴎外夫人の方は、夫の友人や弟子たちに無関心だった)

夏目家の入り婿か執事のような立場になった久米は、親友の松岡が父親と衝突して寺を飛び出したことを知ると、夏目未亡人に頼み込んで松岡を夏目家の家庭教師に雇って貰っている。こうして、松岡は夏目家の一員として同家で暮らすことになった。

「心」では、養家とも実家とも絶縁して苦境に立っている<K>を、主人公が下宿の<奥さん>に頼み込んで自室の隣に同宿させる。このことから悲劇が起きた。Κ=松岡、下宿の奥さん=夏目未亡人、主人公=久米、下宿のお嬢さん=筆子というふうに人物を置き換えてみると、筆子をめぐる久米・松岡の三角関係は、「心」における人間関係とひどく似ているのだ。違っているのは、三角関係の敗者が、「心」ではΚであるのに対し、実際に起きた事件では久米正雄になっていることなのだ。

私は迂闊なことに、岩波書店から新たに出た「新・日本文壇史」(川西政明)を読むまで、「破船」事件と「心」の相似に気がつかないでいた。だが、「新・日本文壇史」の次の部分を読んで、はじめてこのことに気づいたのだ。

<松岡と父母との話し合いは決裂した。親は長男が家を継ぐのを断念し、財産の贈与を拒否し、自活求めた。

久米は松岡に対して夏目家の家庭教師として置いてもらったらどうかとすすめた。松岡は喜び、久米の申し入れを鏡子は承知した。久米は筆子から内諾のような告白を得ていたので心が緩んだのであろう。松岡を夏目家に入れることの危険を察知できなかった。
                          
松岡は上京し、夏目純一や伸六が泊まっている葉山の日蔭茶屋の二階二間で同居生活を送った。そこへ叔母の家へ行っていた筆子ら姉妹も合流した。

久米は留守居として夏目家に泊まっていた。

この間に松岡と筆子は兄と妹の関係をむすび、急速に親しくなつていった。夏が終わり、秋がくると、松岡は夏目家のなかでその居場所を確実なものにしていた。 久米は逆に居場所がなくなり、影が薄くなった。久米は恋敵として松岡を田舎からわざわざ呼び出したおのれの愚を悟った。しかし手遅れであった(「新・日本文壇史」)>

「心」を読んだときに、私は主人公の<先生>よりも、その友人の<Κ>に魅力を感じた。自分が意志薄弱な人間なので、ストイックなΚに好意を持ったのだ。そして、ヒロインの<お嬢さん>が先生よりもΚを選んだとしたら物語はどうなるのだろうかと想像してみた。その想像の通りに、「破船」事件では、筆子は<先生>に似ている久米正雄を捨てて、<Κ>によく似ている松岡讓を選んだのである。

しかし、その結果は決して悪いことにはならなかったのだ。

久米は三角関係の敗者になった体験を生かして「受験生の手記」という作品を書いて評判になり(これは兄と弟が一人の女性を争う三角関係小説)、続いて「破船」を発表したことで作家としての地位を盤石のものにしている。

一方、松岡も姑が「漱石の思い出」を口述筆記するときには、その筆記者になって漱石に関する貴重な事実を後世に伝える仕事をしている。他にも彼は入り婿として夏目未亡人の浪費癖をコントロールし、夏目家のために大いに貢献していた。

「新・日本文壇史」を読んでいて意外だったのは、山本有三が「破船」事件に顔を出していることだった。山本有三といえば、「路傍の石」などの人道主義的な作品で良識派の読者に絶大な支持を受けている作家なのだが、久米正雄が夏目家の入り婿になりそうだという評判が立ったとき、妻に命じて女の名前で久米を誹謗する手紙を夏目未亡人に送りつけているのである。

山本有三は、以前に久米と対立したことがあったので、彼が夏目家の一員になることが許せなかったのだ。「新・日本文壇史」には、投書の全文が掲載されている。これと、「路傍の石」や「波」を読み比べてみると、作家の隠された内面がうかがわれ、何となくおぞましくなるのだ。