<年上の妻を看取る>
新聞の読書欄に、面白うそうな本が一冊紹介されていた。「妻を看取る日」と題したその本は、こんな内容らしかった―――大学の医学部を卒業して間もない26歳の研修医が、38歳の女性患者に惹かれて結婚、幸福な結婚生活を送っているうちに妻が癌で倒れたので夫が献身的に看病しはじめる。妻の死後、夫は狂わんばかりになり、後追い自殺を考えたりするが、その悲しみを何とか克服する―――
興味をそそられたのは、問題の患者が魅力溢れる賢い女性だったというところだった。若い医師をして12歳もの年齢差を超えて結婚したいと思わせた女性の魅力とは、具体的にどんなものだったのか知りたかったのだ。二人の間で愛がどのように育っていったかを記せば、そのままで一編の文学作品になるのではなかろうか。早速、本を注文した。
注文した本の表紙には、次のような刺激的な文字が躍っていた。
「国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」
「最愛の伴侶をがんで亡くした時、自死すら考えた私は、いかにして立ち直ったか」
「がん専門医が実践したグリーフ・ケアの道のり」
著者の垣添忠生は、東大医学部に在学中に「医学部闘争」に加わっている。学生たちが真っ二つに割れて、スト派と反スト派に分かれたとき、スト派の一人として活躍したのだ。それが祟って思わしい研修先がなかったので、青医連の仲介する病院でアルバイトをすることになる。そのアルバイト先の病院に、妻となる女性、昭子が入院していたのである。彼女は、指の関節炎で入院していた。
著者の垣添がその病院に通うのは、医学部時代の同級生5人と交代で勤務することになっていたから週に一回だけだった。昭子は、交代でやってくる研修医のなかで、垣添にそれらしい貫禄がなかったので、彼を医師とは思わなかった。
「心電図の技師さんかと思っていましたわ」
昭子とのそんなやりとりから、垣添と彼女は話をするようになり、言葉を交わしていると、相手が賢い女性であることが分かった。垣添は数回診察しただけで、「結婚するなら,こんな女性がいいな」と思うようになり、その思いは、ひと月とたたないうちに、「結婚するとしたら,彼女以外にはありえない」となったのである。
垣添が、昭子のことを打ち明けたときの両親の反応について、彼はこう書いている。
<ある日、両親がそろっているところを見計らって、
「結婚したい人がいる」
と切り出した。二人は驚いた様子で、話を聞こうと身を乗り出してくる。
「十二歳年上の女性で、これから離婚することになっているんだ」
みるみる両親の表情が険しくなった。
「あなた、何を言っているの。冗談はよしてちょうだい」
母親の叫びにも似た声に、部屋の空気は凍りついた。
どんな女性なのか説明する前から、拒絶反応である。父親も頭に血が上ってしまいそれ以上、私の話には耳を貸してくれなかった(「妻を看取る日」)>
垣添は、最初から自分の言葉を両親がすんなり受け取ってくれるとは思っていなかった。なにしろ、父親は堅実な銀行員で、これまで石橋をたたくように慎重に生きてきた一家だったのだ。それで、彼は根気強く説得を続けたけれど、耳を傾けてくれない。特に、母親が強硬だった。母はまなじりを決して、
「あなたが、その人と結婚するなら、私は自殺します」
と言い放つ始末だった。
両親の態度を見ていた兄弟たちも、彼に冷たい表情を見せるようになった。孤立無援の垣添は、思い切った行動に出る。医学書も衣類も実家に残したまま、身一つで昭子のところに転がり込んだのだ。彼女は退院して、自分の家に戻っていた。
昭子の父親は、元陸軍少将で戦後は会計士となり、娘の昭子が結婚する時に所有している地所内の家を一軒彼女に与えていた。昭子は当初ジャーナリストの夫と、この家で暮らしていたが、夫婦仲がうまく行かなくなって夫が家を出て行った後は
、一人家に残されていたのである。
<彼女の住んでいる家は、もともと彼女と夫が暮らしていた家だった。夫が出ていったあとに、私が突然、飛び込んできたわけだ。あちらの親にしてみれば、
「こんな若い人といっしょになって大丈夫だろうか」
と不安だったに違いないが、そんな様子はまったく見せなかった。
彼女のもとへ転がり込んでから一年後の一九六九年三月、私たちは杉並区役所に婚姻届を提出した。結婚式も指輪の交換もしなかった(「妻を看取る日」)>
―――私が読みたかったのは、若い研修医を迷わせた、年上の女性患者が病床でどんな風に振る舞っていたか、二人がどんな会話を交わしながら親しくなっていったか、つまり、彼らが結婚するまでの間に生起した実録小説的なデテールについてだったのだが、著者の狙いはそれとは別のところにあるらしかった。著者は、医師としての立場から自身に対して行った「グリーフ・ケア」の実践報告を書きたかったのだ。だから、夫妻が結婚するまでにいかにして愛を育てていったかという私小説的状況については,ほとんど触れていない。
従って、こちらが知りたかった、著者が女性患者に初めて接したときの第一印象についても、相手が賢かったとあるだけで、それ以上の記述は皆無に近く、逆に女性の目に著者がどのように映ったかが具体的に書いてあるのである。40歳に近い女の目から見ると、著者はまるで少年のように初々しく見えたのだ。
<私よりずっと経験が豊富で、精神的にもはるかに大人だった彼女は、私に出会って、
「こんなに世の中のことを知らないで、すくすく育ってきた人もいるのか」
と驚いたそうだ。
彼女が結婚していた男性は、ジャーナリストだった。彼の仕事の関係で、二人は一年ほどドイツに住んでいたこともある(「妻を看取る日」)>。
だが、垣添は結婚後の昭子については、かなり詳しく書いている。
少女の頃の昭子は,朝鮮出身の舞踊家、崔承喜についてダンスを習っていたというから、陸軍高官の家庭にしては珍しく開明的だったことが分かる。津田塾大学に進んでからは英語の勉強に打ち込み、大学を卒業すると、今度は東京外国語大学に入学してドイツ語をマスターしている。
昭子の向学心は、結婚してからも止まるところを知らなかった。彼女は語学をマスターするだけでは満足せず、文学の勉強にも手を伸ばし、東京大学ドイツ文学科に学士入学している。彼女がドイツ語系の作家のうちで最も好んだのは、フランツ・カフカだったという。
(つづく)