(ベックリン「死の島」)
「死の島」は「夢の島」
NHKテレビの「知る楽」という番組を、ちょいちょい見ている。先日、この番組は「怖い絵」シリーズの一つとして、象徴主義の画家ベックリンの作品「死の島」を取り上げていた。岩壁で囲まれた暗い島に、小舟が近づいて行くところを描いた絵で、この舟が運んでいるのは人間の遺骸なのだ。ということになれば、この島の全体が墓所であり、白い衣装に身を包んだ人物は、死の使者であることが判明する。
日本人なら不吉と見るこの作品を、19世紀末のドイツ人は大変愛していたらしい。それで画家のベックリンは、同じ構図の絵を合計5回も描いているし、この絵の銅版画や絵ハガキも多数発売され、ドイツ人の多くがこれを購入して自宅に掲げていたという。かのヒトラーもこの絵を愛して、執務室の壁に掛けていたと聞けば、「死の島」の人気のほどが分かろうというものだ。
この絵が、ドイツ人にかくも好まれたのは、どうしてだろうか。
解説者によると、それは「死の島」が彼らには、安らかな来世を保証してくれる「夢の島」に見えたからだろうという。もし、当時のドイツ人がこんな静かな島に葬られることを願っていたとしたら、彼らは死後に春爛漫の天国に赴くというキリスト教的イメージを信じていなかったことを意味する。冷徹なドイツ人は、「天国」ではなく、こうした静かなところで永遠の眠りにつきたいと思ったのだ。
非キリスト教系の東洋人も、地獄・極楽の話は勧善懲悪のための説話に過ぎないと考えている。だが、ドイツ人のように、死ねば魂は密室化された世界で永遠に生き続けるとは考えないで、生と死を一続きの開放的な世界にあるものと捕らえ、人はこの世界で万物と共に輪廻転生を繰り返すと考えた。
昨日、朝日新聞の土曜版を見ていたら、車谷長吉が人生相談欄の担当者として、悩める中年女性の、「結婚に性交渉は必須ですか」という質問に答えていた。この40代の女性は、両親、フリーターの兄と同居していて、母からは「このまま兄と同居してほしい」と言われている。それに加えて、彼女は30代の頃、病気で子宮を全摘しているので、これまで独身を通してきたのだが、近頃結婚願望が起きてきたというのである。
だが、相談者は、もう自分は子供を産めないし、性交渉を忌避したいという気持ちがあるので迷っており、それでこうした質問をしてきたのだった。
これに対して車谷長吉は、自分も性交は嫌いだと答える。彼は48歳の時、49歳の妻と結婚したが、53歳になって強迫神経症になり、性行為が不可能になった、そのため妻も求めなくなったため、今はホッとしていると答えている。
そして車谷は、結婚生活で大事なのは性交より健康だと主張しながら、こんなことを言うのである。
「私は今のところ、まずまず健康ですが、心の中では、一日も早く死にたいと思っています。・・・・世の中には、私と同類の男がいると思います。・・・・大事なのは、自分よりもっと困っている人を助けることです。(それも)自分に可能な限りで、無理をすれば、必ず人生は破綻します」
彼は、質問者の問いに暗示する程度の回答を出しておいて、回答を次のような文章で終えるのである。
「人間としてこの世に生まれ
てきたことには救いはない、と
「徒然草」を書いた吉田兼好は
考えていました。自殺はしませ
んでしたが。私はこの書と夏目
漱石を、自分の人生の指針とし
て生きてきました。漱石は「死
ぬのは厭だッ」と叫んで死んだ
そうで、私には深い驚きです」
車谷長吉の文章に関連していえば、私も死は忌避すべきものではなく、救いではないかと思っている。死は救済だからこそ、空海のような達人でも「終リヲ待ツ」という心境で中年以後を過ごしたのだ(車谷は、漱石が「死ぬのは嫌だ」と叫んで死んだと書いているけれども、漱石は臨終の床で、「今、死ぬのは困るから」とつぶやいただけらしい)。
死を救済と考える理由は、ドイツ人のように死を永遠の眠りと感じるからでもないし、ニーチェのように永劫回帰を夢想するからではない。まして、東洋的な輪廻転生説を信じているからでもない。死は生存中にどうしても脱却できなかった私愛の世界から、全体愛の世界に移ることだからなのだ。
ベックリンの描いた「死の島」を「夢の島」と考えて、あんな静かで安らかなところに葬られたいと願ったりするのは、死後も私愛の世界を求め続ける妄執からだ。人は、そうした気持ちを捨てて遺灰を飛行機から空中にふりまいてもらうような心境になったときに救われるのである(死は救済であり、解放だということについては、別の機会に)。