優しくて賢い日本人
東南アジアにおける日本人の評判は、時間の経過とともに大きく変化してきた。
田母神元空幕長は、太平洋戦争中、日本軍が東南アジアから欧米の勢力を排除してやったので、日本人は現地人から感謝されていたと自画自賛している。とんでもない話である。東南アジアの人々にとって戦争中の日本軍は怨嗟の的であり、まさに「東洋鬼」だったのである。
田母神の話とは反対に、感謝されていたのは日本軍ではなくて米英軍の方だった。反攻に転じた米英軍が、日本兵を東南アジアから駆逐してくれたからだ。日本兵が東南アジアの人々から、いかに嫌われていたかは、彼らが日本に原爆を落としたアメリカの行動を肯定していることでも分かる。
日本人の評判がよくなったのは、戦後になってからなのだ。野卑で乱暴だった昔の日本人が、戦後になって再び東南アジアに姿を現したとき、まるで人が違ったように温和で親切になっていたのである。私は、シンガポールの外交官が戦後に経済援助をしてくれたことについて日本に感謝したあとで、日本人を「やさしくて、賢い」と評している新聞記事を読んで、これは日本人に与えられた最高の賛辞ではないかと思った。戦争中の日本人について、そんなことを言ってくれるアジア人は一人もなかったのだ。
一体、昔の日本人はどうしてあれほど悪評に包まれていたのだろうか。
教育が悪かったのである。満州事変の翌年に小学校に入学した私は、学校で人権に関する授業を聞いたことが一度もない。男女平等とか、国際平和とか、ことヒューマニズムに関連する授業を受けたこともない。人道主義の話を聞いたことは全くないのである。
至る所で耳にするのは、日本に関する夜郎自大的な自己賛美であり、日本人に生まれたからには国のため天皇のために死なねばならぬという自己否定の倫理だった。岸田国士は、「日本人に聞かせるために、日本人が日本を賛美すること」を嫌ったといわれるけれども、戦前・戦中の日本では、自国賛美のPRを聞くことなしに一日も過ごすことができなかったのだ。
こんな日本だったから、日本軍の将校ですら、捕虜虐待を禁じたジュネーブ条約の規定を知らなかった。それで、捕虜を杭に縛り付けて度胸試しのために新兵に刺殺させるようなことを平気でしていたのである。現代の日本人には、こんなことを命じる指揮官は一人もいないだろうし、また、上官から捕虜刺殺を命じられたとしても、部下は命令を拒否するだろう。戦後日本の平和教育は十分とはいえないけれども、日本人に「人類みな兄弟」としての自覚をもたらすだけの効果はあったのである。その証しが、シンガポール外交官の「日本人は、優しくて賢い」という評価になってあらわれたのだ。
一昨日、NHKのEテレで全国中学校体育大会の実況放送を見ていたら、各分野で肌の黒い中学生が活躍していた。千五百メートル女子の部では、そういう選手がダントツの一位になっている。彼らはアフリカ系外人などと日本人との間に生まれたハーフで、日本人として中学校で学んでいるらしかった。
昔は、さかんに大和民族の優秀性が強調され、日本人がアジアの周辺諸国とは別種の人種であるかのような宣伝がされていた。だが、日本人は縄文系の人種と弥生系の人種の雑種であり、周辺諸国のいろいろな血が混じり合った複合系雑種民族なのだ。
この点は、文化においては一層甚だしい。日本文化ほど、世界各国の文化を寄せ集めた雑種文化はないのではなかろうか。現代の日本では、ナベツネにつながる三宅久之、桜井よしこなどの排外主義者が巾をきかせているが、そんなものに耳を貸す必要はない。どんどん国際結婚をして雑種日本人を増やし、世界に広く目を向けて多種多様な文化を導入すればいいのである。
そうすれば、「やさしくて賢い」という日本人への評価が世界的な規模で定着することになるのだ。