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女の心に鬼が棲む(3)

2012/1/21(土) 午後 5:01
女の心に鬼が棲む(3)

奥方は混乱のあまり両手を振り回して何かを訴えている少将を見て、「少将さま」と呼びながら、相手を手ですくい取り、眼の高さに持ち上げた。

少将は目がくらんだらしく、よろめいて、奥方の薬指につかまったが、その姿はいかにも頼りなげだった。

「いかがなされました」

すると、奥方の声が轟音に聞こえるらしく、少将は耳を抑え、掌のくぼみに、突伏してしまう。その眼尻にか細く光っている珠は、どうやら涙らしかった。

少将は茫然としていた。かつて凡帳の蔭から覗いて、そのしなやかさ、やわらかさを空想していた奥方の掌が、荒地のように凸凹している。こんなはずではなかった。

「もとの姿に返してくれ」

と叫んでみたが、やはり声にならない。

奥方は、あまりの傷ましさに胸をひろげて、小さな少将を素肌に押しあてた。が、少将からすればこれはいい迷惑だった。一面のうぶ毛に刺されて全身が痛くてたまらないのだ。それに加えて、奥方の体温の高いこと、まるで硫黄谷の地面のような熱さだった。

奥方は嘆き悲しむ少将を見て、「私の身の続く限りお世話いたしますゆえ、これも運命と思召して、お諦めくださいませ」と慰めるしかなかった。

約束通り、奥方は螺鈿の小箱を少将の住まいにして、蚕を飼うように世話をし始めた。毎度の食事は、奥方がウグイスの摺り餌を作るようにして慎重にこしらえたものだった。そうやって面倒を見ているうちに、奥方は少将にこの世の誰よりも深い愛情を抱くようになった。

少将を慰めるには、どうしたらいいだろうか。

それには、奥方自身が一寸法師の大きさになって螺鈿の小箱のなかで彼と一緒に暮らすしかなかったが、彼女にはそこまでする気はなかった。そこで目をつけたのが侍女の小松だった。奥方は、小松が密かに少将を慕っていることを知っていたのである。

奥方は、小松に向かって、少将を本当に満足させるには、彼と同じ身の丈になって世話をするしかないと説き、「そなた、少将さまと同じ身の丈になって、起き伏しを共にしてくれぬか」ともちかける。すると、小松はけなげに承知した。

「数ならぬ身にそのような大役を仰せつけられ、この上の光栄はございませぬ。わたくしのような者でもよろしゅうございましたなら、どうぞいつでも一寸に縮めて、少将さまのお傍へやって下さいませ」
         
そうあっさり諾うのを見て、それほどまでに少将を思っているのか、と一瞬嫉妬が奥方の胸を走った。

身を縮めた小松は、少将の朝夕の食事から夜具の用意まで、まめまめしく世話をするようになった。奥方はそれを喜ばねばならぬ立場にあったが、或る夜何気なく螺釦の小箱の蓋を取った奥方は、同じ夜具に臥っている少将と小松を目にすると胸がつぶれるような嫉妬におそわれた。

二人の愛撫には、奇異な体に堕された者同士の、自棄と悲しみから来る激しさがあった。帯紐解いた半裸の姿で、何やら言葉にもならない小さな叫びをあげ、何時までも睦び合っているのである。

女の理不尽と知りながら、奥方は少将に恨み言を言わないではいられなくなった。

「小松は召使として、お側へ上げた者でございます。いくら色好みのあなたとはいえ、わたくしというものをさしおいて、卑しい身分の女に情をおかけになるなんて、ひどいではございませんか」

少将は、傲然と応じた。

「お指図は受けませぬぞ。自分の寸法にかなった女を愛するのは、わたしの勝手です」

嫉妬で我を忘れた奥方は、小松の身体をつまみあげると、築土のほとりに投げ捨てて来た。すると、少将は縁側を這い降りて、虻、蜂、蛇の怖れにめげず、何か二人だけに感じられるカに引き寄せられるかのように、泉水のほとりで相通うと、手を曳き合って帰って来た。

「我ら二人を引き離すことは出来ませぬぞ」

少将はまたもや倣然と奥方に宣告するのだった。

奥方の心は千々に乱れた。夫の中納言は自分を一度もこんなに愛してくれたことはなかった。少将が尋常の体であった時に許していたら、或いは、自分にもこのような楽しみがあったかも知れない。いっそ、自分も一寸の身になり果てたらどうだろうか。

しかし、それはやっぱり怖ろしかった。

それに、いまや一寸法師の世界では先輩格になる小松という女がいる。彼女はライバルとして立ち現れた自分に意地悪をするだけでなく、主従関係を逆転させて、自分を召使いにするかもしれない。

とはいえ、このまま少将と小松が睦み合い、愛し合うのを見ているのは耐えられない。

奥方は、入野の少将がいとしかった。いとしくてたまらなかった。奥方は泣き叫ぶ少将をつまみ上げ、くるくると卵をむくように裸にすると、一口に食べてしまった。