甘口辛口

近頃の女たち(2)

2012/3/24(土) 午前 11:49
近頃の女たち(2)

群ようこという作家の「おとこのるつぼ」というエッセーも、鋭いところをついていた。彼女は、まず、昔は四年制大学に進学する女生徒が少なかったことを指摘する。

<女子は大学に進学すると婚期が遅れるので、短大がとても人気があった。四年制大学卒の女子は、世の中ではすでに生意気なばばあ扱いだった>

私が高校教員をやっていた頃、大学に進学する女子高校生の8〜9割までが短大を目指し、四年制大学に進むものは、ごく少数だった。ところが、今や、女生徒も男子と同じように四年制大学に進み、その結果、大学でも企業でも成績上位者を女性が占めるようになった。

大学のゼミなどでも、とにかく男子学生がおとなしくなって、反骨精神など微塵もないという。男の子は、しあわせな家庭ですくすくと育ち、受験勉強ばかりに精を出してきたから、彼らが個性のない従順な人間になるのは当たり前のことなのだ。群ようこはいう。

<先生たちも男子の覇気のなさを心配していて
「君たちも若いんだから、もっとげんきをださくっちゃ。これから社会を乗り切っていけないよ」
と発破をかけても、
「はい」
と苦笑いをしながら、素直にうなずいている>

男子学生は、先生や女子の話をおとなしく聞いていて、お茶は女子が掩れるものという感覚など皆無なのである。周囲の人のお茶の残量を気にかけるのは男子の方で、彼らは仲間のお茶を掩れ替えてやっている。

とにかく男子学生は集団にうまくとけこみ、みんな仲よく、滞りなく物事が進むように気を使っている。以前なら十人以上集まると、必ずそのなかに、波風を立てるような発言をする男子がいたものだが、今の大学生は場を乱されると困るので、そういう人物を最初から仲間に入れない。

一方、女子のなかには大学の備品を乱暴に扱う子がいて、ロッカーの下段の扉を足で蹴って閉める。それを先生が目撃して部屋に呼んで注意したら、逆ギレして退出するときに怒りにまかせてドアのガラスを蹴破った強者がいたそうだ。

しかし、そんな女子ばかりではない。能町光香という女流作家は、ニッポン女子の「気配り」「他人をたてる」能力は世界に誇れる宝だと力説している。

外資系の企業で数多くの外国人エグゼクティブの秘書を務めてきた彼女は、一歩引いて相手を立てるニッポン女子が世界で高く評価されていると語るのである。これに比べると、欧米女子は常に自分が一番でありたいという気持ちが強いので、相手を陰ながら支えるといった発想がない。

能町光香は、ニッポン女子なら誰でも相手をたてることのできるDNAを持っていると保証する。女史の説に従えば、日本の女子学生は乱暴になったように見えるけれども、このDNAがある限り心配することはないというのだ。

産業構造が女性化してきたので、今後、女性はますます優位になると説くのが古市憲寿である。

<まず産業構造が「女性化」している。
この十数年で建設業や製造業など「男性」の職業が減少した。一方で介護職などのケア労働といった「女性」の職業が増加した。
この傾向は今後も続く。
かってのように無闇にダムや新幹線を建造するような公共事業が出来なくなる中で建設業は規模の縮小を余儀なくされる。また製造業は途上国との価格競争に敗れていく。一方で、前代未聞の高齢化が進む中で医療、福祉分野の雇用はどんどん創出されていくだろう>

さらに、販売業やサービス業など第三次産業の規模は今後も拡大していくから、これはコミュニケーション能力が男より優れている女性にとって福音になる。何と言っても、交渉能力は女性のほうが高いのである。「無口で力強い男性」に適した仕事が減っていく一方で、「社交的な女性」向きの仕事が増えていく、これがこれからの日本の姿なのだ。

産業構造が女性化していくのに対応して、「社会のムード」も女性的になって来た。世の中全体が、経済成長第一主義から、「毎日を大切に」というふうに変わってきたのである。

「生活満足度」を調査してみると、1985年の20代男性のそれが59.6%なのに対して、女性は79.7%だった。それが最近は男性の生活満足度も上昇してきて、「将来のために今は辛くても頑張る」という成功追求式の態度から、身の丈にあった希望を抱くという姿勢に変化しつつある。効率性などという昭和を支配した男性的な価値観が、時代遅れになって来たのだ。

今や、日本は「女性化」しつつある。サムライ的上昇的原理を捨てて、女性的日常的原理へと転換しはじめたのである。

では、女性的原理とは何なのだろうか。

老子は、宇宙を動かしているのは女性的原理だといっている。人は、陰と陽という存在形式のうち、華やかさにひかれて陽の生き方を選ぶが、結局、行き詰まって陰の生き方に戻る。人間の欲望は元来限りがあるものであり、ある程度まで望みを達したら、「炉辺の幸福」を求めるようになるものなのだ。

母親は、子供を育てるとき、縁の下の力持ちとして、陰から支え続ける。母性愛の最高の形態は、見守る愛であり、不合理なものを排除した愛、理にかなった愛である。いわば、世界性を持った愛なのである。

こういう時代に巡り合わせた女たちは、社会をリードする立場になっても、女性的原理を守り、合理的で世界性を持った日本を建設してほしいものだ。自分を売り物にして、その商品価値を高めるためにジタバタすることをやめ、そして女同士で足の引っ張り合いをしなければ、ただ、そこにあるだけで女は幸福になれるのだから。