妻と別居していた「ヒゲの殿下」
以前にも書いたことだが、私は新聞に掲載されている週刊誌の広告を読み、面白そうな記事があることが分かれば、その週刊誌を買いに出かけることを習慣にしている。だが、目当ての記事ひとつを読んでしまえば、もう他の記事を読む気がしなくなるのだ。週刊誌には、芸能スキャンダル、政局裏話、犯罪詳報という三つの柱があるけれども、一般的にはそのいずれもがさほどの興味をひかないからだ。
だから、本当は興味のある記事だけを店先で立ち読みすれば事足りるのである。だが、時には予想外の面白い記事にぶつかることもあるので、週刊誌一冊を丸ごと買ってくる愚行をやめられないでいるのである。
先日、「週刊朝日」を買ってきたのも、同誌が、「追いつめられた最後の手配犯──高橋克也・菊地直子」という記事を載せていたからで、目的はこれを読むためだけだったのだ。ところが、その記事を読み終わってから、別のページを覗いてみたら、「92才の野生・金子兜太を見よ」という記事が目に入った。筆者は、俳人金子兜太の弟子を自称する嵐山光三郎だった。
これが、なかなか面白かったので、次のページをめくったら「評伝・ナンシー関」という記事があり、これはもっと面白かった。調子に乗って巻末の、「ヒゲの殿下逝く──酒とおなごを愛し、福祉に生きた66年」という読んだら、同誌記事の中で、これが一番面白かったのである。
これらの記事は、週刊誌が得意とするスキャンダル記事や政局裏話とは異なるテーマを取り上げている。本来、「文藝春秋」などが得意とする題材を週刊誌上で取り上げているのだ。新聞社系の週刊誌は、この路線をもっと強化すべきではなかろうか。
「ヒゲの殿下」の正式な名前は、三笠宮寛仁であり、父親は三笠宮崇仁親王だが、私は、エジプト学の権威である父親のことはよく知っているけれども、息子の寛仁親王については、何も知らないでいた。だから、週刊誌で寛仁親王の人柄や生活についての記事を読んだら、すべてが初めて聞く話で、何から何まで驚くことばかりだった。
まず第一に驚いたのは、寛仁親王の葬儀に際し、喪主になっているのは妻の親王妃ではなく長女なのであった。秩父宮、高松宮、高円宮が亡くなったときには、いづれも妻が喪主をつとめているのに、寛仁親王の妻信子は喪主になっていないのである。理由は、寛仁親王夫妻が別居していて、事実上の離婚状態にあったからだった。
寛仁親王の妻信子は、吉田元首相の孫娘で、兄は元首相の麻生太郎である。彼女は、家格の点でも、資産の点でも、超一流の実家で育てられたにもかかわらず、皇室の空気には馴染むことが出来ず、深刻なストレスを抱えこんでいたらしい。その上、夫の寛仁親王はアルコール依存症であり、加えて女道楽の傾向もあったから、親王妃はとうとう胃潰瘍になって二年間の療養生活をすることになった。
夫妻別居の原因は、些細なことからだった。娘たちが新しく飼うことになった犬が、信子夫人の可愛がっている老犬に強くじゃれついた(?)ので、夫人が怒ったらしい。すると、それを見ていた寛仁親王が、「それならお前が二階で犬と住んでいろ」と怒鳴ったため、夫婦間の亀裂が決定的なものになったというのだ。
とにかく、寛仁親王は「宮さま」としては、型破りだったらしいのだ。学習院高等科三年生のときに応援団長になってヒゲをはやし、15才で酒を飲み、18才で女を知った(?)というから尋常ではない。
スポーツカーを乗り回すようになってからは、衝突事故を起こし、バイクの少年二人に怪我をさせているし、ロンドンに留学中に交通違反を犯しながら警察に出頭しなかったため、逮捕状を出されている。
寛仁親王は、皇族としては破格の生き方をしていたので、女性から好奇の目で見られていた。親王は、自ら、「僕は確かに女性にもてると思うし、実績もある」と語っている。彼が札幌冬季五輪の委員をしていた頃には、若い女性コンパニオンや女子事務員たちは、「プリンスとお茶が飲めたら、将来は妃殿下よ」と、こぞって親王を狙っていたといわれる。
親王は、いろいろとやんちゃな行動をしながらも、福祉活動に熱心だったことは高く評価されていい。スキーが得意だった彼は、自から障害者にスキーを教えていたという。被災者を見舞う皇族は多いが、障害者のために、ここまでする皇室関係者は見当たらないのではないか。
親王がガンの告知を受けてから21年間に、16回も手術をして、その間、あまり弱音を吐かなかったという事実も、注目すべきだろう。彼は皇族離脱の意志を表明したこともあるし、ハラの据わった人物だったと思われる。
──ここまで書いてきて一時書くことを中断していたら、今朝の新聞に、「週刊文春」と「週刊新潮」の広告が載っていた。両誌ともに「ヒゲの殿下」が親王妃と別居したことを記事にしているし、週刊文春は小沢一郎が妻から離縁状を突きつけられたという特ダネを巻頭に掲げている。
この拙文はまだ完成していないけれども、これから朝食を済ませ、「週刊文春」を買いに出かけようと考えている。拙文の続きは、その後に書く心算である。
(つづく)