小林秀雄と山口瞳(2)
私の間違いは、人間の感情が多面的な構造を持ち、しかも絶えず入れ替わっている事実を見落としていることにあった。例えば、山口瞳の妻は、夫を熱愛しながらも、時に夫を憎んでもいたのである。
「江分利満家の崩壊」を読むと、山口の妻は強い不安神経症を持っていて、一人で電車に乗ることが出来なかったし、近所に買い物に行くことも出来ず、絶えず身近に夫か息子がいることを求めていた。そのため、夫の瞳も、一人息子の正介も、彼女が乗り物を利用して外出するときには一緒について行かねばならなかった。そして、彼女が求めるときには家にいてやらなければならなかったのである。
息子の正介は、母の不安神経症は、中絶手術の失敗と正介を出産したときの産後鬱によるのではないかと考えていた。母の記憶によれば、中絶のための掻爬手術を受けた際、麻酔が途中で効かなくなって手術中に麻酔薬を増量したことがあったが、母はこの事実を根拠にして、その折の麻酔薬がまだ体内に残っていると言い張るのだった。
高校に通うころになると、正介は、麻酔薬が十数年も体内に残っているなんてことは考えられない、と母に反駁するようになった。すると、母は別の原因を考え出して、中絶のとき、胎児の身体を完全に取り出すことが出来ず、まだ自分の胎内に残っているというのだ。
息子の正介が、その著書のタイトルを「江分利満家の崩壊」としたのは、何か事件が起きて家族が離散したという意味ではなかった。父の死後、母と二人で暮らすことになった正介が、不安症の母と同居しているために結婚することが出来ず、このままだと自分たち母子が死亡すれば、最早、山口家を継ぐ者がいなくなるという意味で「崩壊」という言葉を使ったのだった。なにしろ、母は息子と一緒でなければ駅前のスーパーに出かけることもできないし、しばしばヒステリーの発作を起こしていたのである。
正介は、母のヒステリーについて、こう語っている。
<(母がヒステリーを起こして)わめき続ける内容は、過去の出来事や、自分の生まれ育ちにまで至る。そして、ごめんよう、ごめんよう。ママ、とまらないんだよ、と言いながら涙を流して僕にあやまったかと思うと「ハーコはこんな身体じゃなかったんだ、ハーコは生まれてこのかた病気一つしたことがないんだよう」と進む。
そして例の堕胎の件にいたり、みんなパパが悪いんだよう、と父を呪う言葉がとめどなく口からあふれる。(「江分利満家の崩壊」山口正介)>
人間の感情は、互いに矛盾する個々の小さな感情を束ねたものとして存在する。人体においては、数億の細胞が生まれ変わり、死に変わりして、日々更新している。同様に、人間の感情も、愛憎相半ばする多数の感情が、生まれ変わり、死に変わりして、毎日更新されつづけているのである。日々新しい感情が生まれてくることによって、古い感情は新しい感情に場所を譲り、感情の総体が徐々に変容して行く。
この感情の入れ替わりは、自己や他者に対するものについても、社会や世界に対するものについても、絶えることなく続行する。自分を見る目、社会を見る目は、般若心経が説くように一刻も留まることなく変化しつづけるのである。
私が小林秀雄の正宗白鳥に対する感情を読み違え、山口瞳とその妻の関係を読み違えたのは、人間の感情というものを固定的にとらえ過ぎていたからだった。既存の細胞が消えた後を新しい細胞が埋める人体生理は、既存の感情が消えた後を新しい感情が埋める精神生理とパラレルの関係にあり、そしてまた老人が亡くなった後を新生児が埋める種族保存の生理とパラレルの関係にある。
この精神生理の循環・交代が行われず、同じ感情や精神が内面に留まり続ければ、それはトラウマと呼ばれて精神活動の阻害因になる。注意しなければならない。