甘口辛口

三島由紀夫の「遍歴時代」

2013/8/2(金) 午後 7:05
三島由紀夫の「遍歴時代」

三島由紀夫は太宰治を嫌っていた。彼が、わざわざ太宰の前に出て行って、「僕は太宰さんの文学が嫌いです」と言ってのけた話は、現代文学が好きな読者なら誰もが知っている有名なエピソードになっている。三島がなぜ太宰を嫌ったかといえば、彼が「笈を負って上京してきた若者の田舎臭い野心」を好かなかったからだった。三島は自己卑下を売り物にする太宰の中に、「田舎者の野心」を嗅ぎ取っていたのである。

三島は太宰好きの大学生に対しても、「オレは自分の弱さをひけらかす太宰が嫌いだね」といって、学生から、「強さをひけらかすのは、いいんですか」と反撃され一本参ったと書いている。

私は中野重治が好きだったから、その対極にあるような三島を好まなかった。中野重治は愚直に生きようと思い定めて、その通り愚直に生きた作家だが、三島は太宰に会いに行くのにわざわざ絣の着物に袴を着用するというような芝居がかった洒落者で、両者はまったく相反するタイプの作家だった。だから私は、時折、古本屋で三島の本が売られているのを見かけた時にだけ、それを買ってきて読む程度で、彼の才気は認めながら、作家としての三島も、人間としての三島も全く認めていなかったのだ。

その三島を見直す気になったのは、学校図書館で購入した彼の「私の遍歴時代」を読んだ時からだった。三島はその本の前半に戦時下の自身について記し、後半に戦後の自分について触れているが、後半をはじめる前に、彼はこう書いていた。

「そして不幸は、終戦と共に、突然私を襲ってきた」

三島由紀夫は、私と同じ年の生まれだったから、彼の体験してきた昭和の時代を私もまた同じように生きてきている。三島は日本浪漫派に心酔して天皇に絶対臣従する生き方を選び、こちらはその逆の生き方をして来たのだが、敗戦と共に一種の不幸に襲われた点は同じだったのである。

最初に、少し長くなるけれども、私の体験した不幸なるものを記してみよう(自著からの引用)。

<戦争が終って、私が逢着した新たな困難とは次のようなものであった。
言論統制がしかれていた戦争中、人々の視聴は公式報道に集中していた。国民の目は、フットライトで照らし出された正面の舞台上に釘づけになっていたのだ。そこで進行するのは、悲惨な結末をもって終ることがあらかじめ予定されているドラマであった。観客席は暗く、まわりは何も見えなかったから、私は舞台上の劇を否認して観想の中にある「世界」に住み、ベルグソンやエビクテートスが切り開いてくれる展望を愉しんでいればよかった。
戦争が終ると、暗い観客席にも照明がついた。国民は今度は、お互いを視聴の対象とし、その生きる姿勢を確かめあうようになった。私はなんとなく居心地の悪さを感じた。これまで、私の前には「国家」の提出する明白な誤答が一つあるだけだったから、私は不同意の態度を示すだけで足りたが、今や私達は相互に正しい解を示し合わなければならないのだ。照明は場内を照し出すばかりでなく、私達の内面にも及んでその暗部を浮びあがらせるのである>

私がこんな風に長々と書き連ねた感想を、三島は一行で説明してしまうのだ。彼は戦後になって感じた不幸についてくどくど文字を連ねる代わりに、戦争中に感じた幸福について記し、それが失われたことをもって戦後の不幸を説明するのである。彼が戦争中に感じていた幸福とは、次のようなものであった。

<あれだけ私が自分というものを負担に感じなかった時期は他にない>

三島は戦争中に自分を負担と感じないで生きることが出来たのだが、その自分とは、「へんなニヤニヤする二十代の老人」の自分であり、それはまさに太宰治が描いた自意識過剰な若者としての自分に他ならなかった。三島はその憎むべき若者が自身の内部にも居座っていることを戦後になってハッキリと自覚し、それが時を選ばず出現するようになったことに絶望しているのである。

三島の「私の遍歴時代」を読んでから、私は評論家、エッセイストとしての彼に魅力を感じるようになった。だが、彼の全集を購入すれば、あの奇天烈で馬鹿馬鹿しい創作も一緒に買い込むことになる。それでこれまで単本についても全集についても発注することを控えていたのだが、先日、とうとう三島由紀夫全集を買い込んだのだ。

どさっと音を立てて届いた全集の梱包を開いてみたら、36冊のうちの10冊が評論集になっていた。これなら、三島の評論もたっぷり読むことができる。目下、私はそうと知っていたら、もっと早くに全集を注文していたのになと、後悔しているところである。