盲従する国民
毎年のことながら、8月15日が近づくとテレビは一斉に太平洋戦争を回顧する特別番組を放映する。だが、テレビの制作者たちが見落としているのは、あの戦争は国民が知らないうちにはじまり、そして国民が知らないうちに終わっていたという一事なのだ。ここにこそ問題のポイントがあるのに、たいていの番組はその辺を曖昧にしている。
戦争が始まった当時、私は旧制中学校の生徒だったが、なぜ日本軍が真珠湾を奇襲攻撃しなければならなかったのか、よく分からなかった。その頃、日米の間で何だか難しい交渉が続いていることは知っていた。そして、その交渉では、アメリカ側が日本に中国大陸に展開中の日本軍を撤収させることを要求していると知っていたが、なぜアメリカがそんな要求を日本に突きつけてくるのか、もう一つ理解できなかった。
それでも、日本の軍部がアメリカの要求を拒否するだろうことは予測できた。軍の面々は、皇軍を中国から引き上げでもしたら、日中戦争で戦死した英霊の死を無駄にすることになると反対するに違いない。日本人は、こういう反対論に逆らうことが出来ないように仕付けられているから、国民は結局軍部の言い分を飲むことになる。としたら・・・・・。
軍部の言い分に国民が反対できなくても、天皇には陸海軍を統率する大権が付与されているのだから、天皇が軍部を押さえさえすれば中国大陸から日本軍を撤収させることも可能だった。その頃は、中国軍の抵抗で中国での戦線は至る所で膠着状態にあった。だから、大局的には中国に展開している日本軍を引き揚げることは、日本にとってマイナスばかりではなかったのだ。
だが、陸軍は盲目的に突っ走り、海軍をも同調させて日米開戦の選択を天皇に強いた。アメリカと戦争するか否かの決定権を握っているのは最終的には天皇にあったから、伝えられているように、天皇が御前会議の席上で、「虎穴に入らずんば虎児を得ず、ということだね」と語ったとしたら、この瞬間に日本の運命が決まったのである。
天皇がアメリカとの戦争にゴーサインを出したいきさつについては、今に至るも真相がハッキリしていない。まして当時の国民は、何が何だか分からないうちに、真珠湾奇襲攻撃に関する大本営発表を聞かされ、日米が開戦したことを知ったのであった。
日米開戦の報道を国民がいきなり聞かされたように、ポッダム宣言受諾の報道も日本人は唐突に聞かされたのだった。明日の正午に重大放送があると予告された国民の大半は、それは本土決戦に備えて一億玉砕の覚悟も持てという激励の放送だろうと思いこんでいたら、何と降伏を告げる天皇の「玉音放送」だったのである。
天皇もマイクに向かって語ることは初めての経験らしく、放送は「玉音」というには程遠い妙な抑揚で語られたから、その放送が何を意味しているか訳が分からなかった。私はそのとき二等兵で、本土決戦に備えて武器弾薬を奥地の分教場に分散貯蔵する仕事をしていた。入隊してから、新聞というものを見たことがなかったから、ソ連の参戦も広島への原子爆弾投下も口伝てに古兵から聞かされていただけだった。
そのため、天皇が何を言っているのか皆目分からなかったけれども、「耐えがたきを耐え」という言葉には注意を引かれた。が、それも本土決戦がもたらす困難に耐えよという意味だろうと解釈して、そのまま聞き流していたのである。私の後輩はこの時期に江田島の海軍兵学校にいたが、昼食後自室で休んでいたら玉音押送を聞いた仲間が部屋に駆け込んで来て、「戦争が終わったぞ」と告げた。そしたら、そこにいた仲間が、
「日本が勝ったのか」
と聞き返したという。将来の日本海軍を担う幹部候補生にしてこの調子だったのだから、国民の大部分が国から情報を操作され、戦況は無論のこと、国際情勢についても完全に無知のまま放置されていたのは当然のことだった。
(つづく)