盲従する国民(2)
日本の政府は、国民に何も知らせないで唐突にアメリカを相手に開戦し、そしてやはり国民に何も知らせないで突如降伏している。だが、日本人のすべてが、「何も知らないでいた」わけではない。そんな筈はないのだ。
あきれたことに日本は、戦争に必要な石油と鉄をほとんどすべてアメリカからの輸入していたのである。未だ中東の原油が産出されていなかったこの時代に、日本はアメリカ西海岸の石油に頼るしか燃料を入手する方法がなかった。陸軍も海軍も、いざというときに備えて数年分の石油をストックしていたが、それを使ってしまえば、もう飛行機を飛ばすことも、軍艦を動かすことも出来ない状態になっていたのだった。
日本は満州を支配下におさめてから鞍山の鉄鉱石で製鉄を始めていたけれども、兵器生産に多用する鋼鉄を精錬するのにアメリカから輸入する屑鉄(ドリルなどで削り落とした際に出る屑鉄で、錆びた古鉄ではない)を利用していた。屑鉄を溶かして既製の鉄に混合することで、鋼鉄の強度を高めていたのである。
つまり、日本は「軍国日本」を維持するのに必要な資材をアメリカから輸入していながら、そのアメリカにこちらから戦争を仕掛けたのだ。戦後に、アメリカの学者や役人が視察団を編成して日本の工業能力の調査にやってきた。視察後に彼らは異口同音に、「日本はこんな貧弱な工業力しか持っていなかったのか。それでいて、わが国に戦いを挑んだのか」と驚いていた。
だが、アメリカと戦うことが自殺行為であることを知っている日本人も、少なくなかった。正常な頭を持った国民は、国会議員にも言論人の中にもいたのである。が、国会議員が議会で軍部を批判すると、陸軍大臣が居丈高に、天皇陛下の御聖断に異を唱えるのか、そんなことを言えば、陛下の統帥権を干犯することになるぞと反論する。すると、もう議員は何もいえなくなったのだ。
明治憲法によれば、天皇は「天皇大権」の名の下に立法・司法・行政の三権を統括することになっていたから、天皇の名を持ち出せば、政府や軍部はどんな横車でも押し通すことが出来た。戦前は無理が通れば、道理が引っ込む時代であり、一億国民が受難の運命に置かれた時代だった(安倍晋三は、「戦前の時代を取り戻す」と恥ずかしげもなく言っている)。
受難の国民の中でも、特に哀れだったのが戦場でアメリカ軍と対峙することになった兵士たちだった。以前にアップした「日本陸軍の地獄」という書き込みの冒頭部分を、ここに引用してみよう。
「とにかく、驚くような数字がある。太平洋戦争での日本陸軍戦死者165万人のうち、70パーセントまでが餓死者なのだ。
中江兆民は明治憲法を歓呼して迎えた日本人を、『わが国民の愚にして狂なること、何ぞかくのごときか』と嘆いたけれども、上記の数字を見れば、 『日本軍指導部の愚にして狂なること、何ぞかくのごときか』と嘆かないではいられない。兵士の7割までを餓死させた軍幹部は又、作戦面でも眼を覆わしめるような無惨な失敗を繰り返していた。
その代表的なケースが、ガダルカナル決戦だった。装備と弾薬にまさる米軍に対して、日本の参謀本部は、「戦力の逐次投入」という拙劣な作戦で臨んだのだ。この愚かしい戦い方は、ガダルカナルだけではなかった。日本の指揮官は、圧倒的に優勢な米軍に対して中途半端な戦力で攻撃を仕掛けては、自軍を全滅させることを繰り返していたのだ。米軍の指揮官には、日本側の攻撃パターンがすっかり読めていた。それで彼らは日本軍と戦うのは、子どもと戦うように楽だったと語っている」
先年、NHKは、太平洋戦争の実録フィルムをシリーズで放映した。
そのどれもが涙なくしては見ていられないような映像ばかりだった。兵士らはニューギニアやビルマやアッツ島に送り込まれ、後援の部隊と食料を待ち望みながら、次々に無念の餓死をとげていったのである。こうして死んでいった兵士らに霊魂があるとしたら、彼らは靖国神社に参拝に来る閣僚や「愛国者」らに向かって、きっと、こう語るに違いないのだ。
「私たちに感謝して花束を捧げる必要はない。それよりも、無念の死を遂げて、ここに祀られている自分たちの、怒りと悲しみをあなたがたも共有してほしい。そしてここに祀られる国民が、自分たちを最後にして今後誰もいなくなるように闘ってほしい」と。
中江兆民が明治憲法を歓呼して迎える日本人に絶望したのは、欧米諸国が競って憲法を制定したのは、国王の専制政治を阻止するためであることを知っていたからだった。だが、明治政府は天皇の権力を強化するための憲法を制定し、その他国とは真逆な非民主的な憲法を、国民は歓迎して迎えたのであった。
中江兆民と共にパリで青春を過ごした西園寺公望は、日本に絶望して風流の世界に逃れ、光明寺三郎は放蕩に身を持ち崩している。中江も崩れそうになるが、最後の一歩で踏み留まって、自由党の議員になっている。
権力に盲従する国民の未来は暗い。