川崎長太郎と良寛(2)
川崎長太郎という名前を覚えたのは、彼が「抹香町もの」で人気作家になってからだった。その頃の川崎長太郎は、いろいろな雑誌に、毎月のように抹香町に出かけては女を買う私小説を書いていた。それらはどれも同じパターン、同じ趣向で書かれた私小説だったが、読んでいて飽きないのである。
まず小説の中で最初に語られるのは、彼がいかにひどいボロ家に住んでいるかという貧乏話だった。物置にちょっと手を加えただけのその小屋は、屋根も外壁もすべてトタンを貼り付けたものだったから、中にいると夏は焦熱地獄になり、冬は北極のように寒くなる。おまけに、屋根のトタンは錆びて穴が空いていたから、雨が降れば室内は何処もかしこもびしょ濡れになった。このため、川崎長太郎は押入に避難して雨の止むのを待つしかなかった。
この小屋には、水道も電気も来ていない。原稿を夜に書こうとしたら蝋燭をともして、ミカン箱をひっくり返して机にしたものに向かうことになる。
こういう生活を綴った一節を、彼の作品(「ひかげ咲き」)から引用してみよう。
<毎日、朝のうちから、のっそり食堂に現れ、便所へ入り、出てくると、手洗い場で水道栓をひねり、洗面器も何もなし、手に水をうけ顔を洗っている。腰に挟んだ手拭で顔を拭う。それから、中庭に面した隅の方のテーブルにやってき、必ず椅子の上へ胡坐をかく。冷えこむ冬でも、暑くなってからでも、彼はたたきの上へ両脚をのばすようなことはしない。そして、所在なさそうに「新生」をふかしたり、自然石のとうろうや、花をつけた植込みの木々に眼を向けたりしている>
食堂で彼が注文するのは、ちらし丼と決まっていた。場合によれば、卵かけ御飯や焼き芋で済ますこともあるが、とにかく、食事はちらし丼と決まっていたのである。そして、ちらし丼をたべたあとで、彼は抹香町に押しかけ売笑婦と寝る。淫売宿で川崎長太郎は女と少しばかり話をするが、その会話も忠実に作品の中に書き込むのが常だった。
短編小説といっても、中身はこれだけのものなのである。まるで判を押したようにパターンが決まっているから、読者は文中にちらし丼が出てくれば、ああ次は抹香町行きだなと見当がついてしまう。川崎長太郎の短篇を読んでいると自然に「千篇一律」という言葉が浮かんで来る。それでいて、彼の作品が雑誌に載っているのを見るたびに、つい雑誌を購入して読んでしまうのだ。
川崎作品の、この変な魅力はどこにあるのだろうか。
川村二郎は、川崎長太郎のメルヘン的な日常にその原因があるという。ものぐさ太郎や三年寝太郎の生活が持つ伝説的な魅力が、抹香町に通う川崎の日常にも感じ取れるからだというのだ。
奥野健男は、川崎作品の魅力が事実をありのままに書くところにあるという。奥野は書いている。
<(川崎長太郎の)『父島』を読んだぼくは大きなショックを受けた。それは殆んど恥知らずなという憤りに近い感じと、こんなことを平気で行い、しかもぬけぬけと書く小説家への恥かしさを伴う蔑すみでもあった>
奥野健男は、戦場における兵士や軍属のだらしなさを述べてから、こう続ける。
<そのだらしない連中の中でも、もっともだらしないのがかって小説家であった主人公(川崎長太郎)なのである。彼は軍支給の圧搾食料を廃棄物の中から拾いその鉄錆にまみれた半腐敗品をむさぼり食い、ドラム缶に捨てられた豚や魚の腐りかけた内臓まで盗み喰いし、さらにポロギレや廃品まで拾い盗み歩く。仲間から蔑まれながらもその行為をやめることができない>
愚老は、まだ「川崎長太郎自選全集」を部分的にしか読んでいないけれども、事実をあからさまに書く放胆なばかりの彼の度胸には、何度となく驚かされている。例えば、彼はこんな体験を取り上げた私小説を、雑誌に発表している。
ある日、川崎長太郎の物置小屋に、作家志望の夫に命じられて人妻が訪ねてくる。彼女は夫が書き上げた小説の原稿を持参して来訪したのだった。彼女の夫は、直接、川崎宅を訪ねる勇気がなかったので、妻を差し向け、自分の原稿を世に出そうとたくらんだのだ。
川崎は未だ自分には、他人の原稿を雑誌社に仲介してやるほどの力がないことを承知していながら、男の妻が次々に持ち込んでくる原稿に批評を加え、相手との関係を深くして行き、遂にその妻女と道ならぬ関係になる。そして、そのいきさつを作品にして雑誌に堂々と発表するのである。
彼の作品には、この類のものが少なからずあるのだ。
(つづく)