三島由紀夫全集を拾い読み
若い頃は、三島由紀夫の作品をよく読んでいた。三島が絢爛たる才能をもち、切れ味抜群の作品を毎月のように雑誌に発表していたからだ。その頃に読んだ三島作品で、今も、記憶に残っているものに、例えば「日曜日」という短篇がある。
登場人物は、中央官庁の事務室で机を並べて仕事をしている未婚の男女で、二人とも高卒の学歴しか持っていない。年齢も同じで、吹けば飛ぶような薄給で細々と暮らしている点も同じだった。そんな二人が恋人になり、日曜日に手を取り合って東京近辺の景勝地に出かけたり、映画館に行くことを唯一の楽しみにしている。彼らは、日曜日を過ごす計画を年末になるまで立てて、それを小型の手帳に書き込み、この予定を雨が降ろうが、槍が降ろうが忠実に実行していた。
そうした日曜日のある日、二人は予定に従って近郊のS湖(相模湖らしい)に出かけることになる。娘がこの日のために弁当を作ったり、おやつのチューインガムを用意したりする微笑ましい描写が続く。そして、それに併せて三島由紀夫は同じ場所に集まってくる男女を「風俗小説」風に描くのだ。これがなかなか面白いので、少し長くなるけれども、次ぎに引用してみよう。
<・・・・五十男と廿歳ぐらゐの落第女学生との一組がある。手をつないで、男は金歯をむきだしにして喘ぐやうに笑ひ、日の丸のついた扇で胸もとをあふぎながらびどいがに股の足取りで登つてくる。女はセイラア服に口紅を濃く塗つて、爪を眞紅に染めて、胸のところに汗とりのタオルを行儀わるく丸めて、ハイヒールの踵を斜めに木の根に引つかけながら登ってくる。大学生三人と肥つた娘三人の一団がある。大学生はそろって上着を腕にかけ、気がちがったとしか思はれない色や縞のワイシャツを誇示してゐる。おまけに・・・・短かめなズボンと靴のあひだからはとてつもない眞赤と緑と青いろの縞の靴下がのぞいてゐる。眩しく光るのは、左手の指にはめた図太い金無垢の指環である。彼らの恋人たちは、腰をゆすっては、
「疲れたわよお、ねえ、もうここらで休みませうよお」
と言つてゐる。しかし理想家たちは歩みを止めない。肥つた娘たちは不服さうに、まはりの山吹の花を摘み散らしながら登ってくる。
その次にはチョッキの一番下の釦まで律儀にはめた無恰好な青年が、無恰好なロングス
カートの女の手を引いて登ってくる。青年はしじゆう頼もしげな自己陶酔の微笑をうかべてゐるが、それはあと十年もたてば、諦念の苦い微笑に変わるであらう。何故かといふと、連れの女は、悍馬の骨相をあらはしてゐるからだ。そのロングスカートたるや蝋燭の垂れた鑞のやうないろんな無用の襞や飾りがついてゐて、一足毎にそれがいちどきに風鈴屋のやうに揺れる仕掛になつてゐる。彼女の目は怒り、こんな険路を強ひる男の気の利かなさを難詰する唇が、とても意志的に結ばれてゐる。そのあとからは、痩せた小柄な眞白けな青年が、大柄な年嵩の外人の女と腕を組んで登つてくる。介添役は女のはうである。青年ははにかんだやうに、うつむいたままである。女はのぞき込んでは、舌をちらりと出して、青年の頬を舐めてゐる。突然女が顔をあげた。日本人の顔である。その赤毛は染められたものだつた。そのあとからは、……>
こんな調子で慎ましい主役の恋人二人と、猥雑なその他大勢の恋人たちを比較した後で、作者は主役の恋人たちを待ち受けている悲劇について語り始める。
帰途につこうとして駅に戻ってみるとプラットホームは大変な混雑だった。二人が群衆に押されて線路の上に落ちたときに、運悪く列車が入ってきたのだ。貧しい恋人たちの素朴なデートで始まったこの心温まる作品は、次のような残酷な文章で閉じられることになる。
<腕を組んでゐたので、一人で死ぬことは困難であった。幸男が願落し、斜めに秀子が引きずられて落ちた。ここでもまた何らかの恩寵が作用して、列車の車輪は、うまく並べられた二人の頸を正確に轢いた。そこで惨事におどろいて車輪が後退をはじめると、恋人同士の首は砂利の上にきれいに並んでゐた。みんなはこの手品に感服し、運転手のふしぎな腕前を讃美したい気持になった>
三島は、この作品を発表した20年後に陸上自衛隊本部に乗り込んで割腹自殺をしている。自決後の彼の首は、三島の恋人だったとされる森田必勝の首と共に、配下の手で、総監室の壁際に並べられることになるのだが、作品「日曜日」を読めば三島が自身の将来を予感しているように思われて少々寒気がしてくるのである。
若い頃に愛読した三島作品を、中年にはいるとほとんど読まないようになった。彼の作品に興味を失ったというよりも、三島の演じる見世物師のようなあざといパフォーマンスにうんざりして来たためだ。三島という男が、芯から俗な人間に思われてきたのだ。
愚老には、彼が同性愛者だったとは信じられないのである。三島は青春期に入ると、二人の女性に求愛して両方から断られている。同性愛者が、誰に勧められたのでもないのに、自発的に女性に求愛し求婚するなどということがあり得るだろうか。その後の彼は見合いにも精を出している。数ある見合い相手の中には、美智子皇后もいたと言われている。
三島は、あるいは両刀使いだったかも知れない。としても、自身が同性愛者であることだけをPRするのは、「鬼面人を驚かす」という文壇処世術のためではなかったろうか。三島が「葉隠」や陽明学に心酔してみせたのも眉唾物だったし、その天皇主義に至ってはもっと怪しかった。三島自身も、自分の言説が知識階層から冷笑をもって迎えられていることを知っていた。彼は自分が信じられるためには、彼らの目の前で死んでみせるしかないだろうと知友に語っている。
三島が死んでから、せめて彼の代表作「豊饒の海」四部作だけでも読まなければと思ってインターネット古書店から「三島由紀夫全集」を注文した。だが、パソコンで読むために全集の一部を電子書籍化したものの、拡大した活字の各行が横長のモニター画面に収まらず、結局、一冊も読むことなく終わっていた。
だが、三島作品の魅力には抗しがたかった。今年になってから、パソコンのモニターを横に倒して、横長の画面を縦長にすれば活字を拡大しても全集を読めるようになるかも知れないと思いついて実行してみると、ちゃんと全集をパソコンで読むことが可能になった。一度、突破口がひらかれると、モニターには画面を横長にも縦長にも自由に変更できるものがあることも分かってきて、それも注文した。
折しも愚老は九〇歳になろうとしている。愚老は三島と同年の生まれだから、九十歳まで生きれば四十五歳で死んだ三島の二倍生きることになる。もし三島が愚老と同じようにこの年まで生きていたとしたら、彼は何を考えて何を書いていたろうか。そんなことを想像しながら三島の全集を拾い読みし始めたのである。
(つづく)