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熊谷守一を鑑賞する(2)

2014/7/25(金) 午後 0:50
熊谷守一を鑑賞する(2)

昔から不思議に思っていたのは、花子夫人がどうして熊谷守一のような男と結婚する気になったのかということだった。成る程、熊谷の風貌は男らしいし、俗事に超然とした彼の生き方も見事ではあるが、何しろ彼は生活能力がゼロに近いのである。画家という看板を掲げながら、この男は一年間に一度も絵筆を握らないで過ごしたこともあるほどの怠け者なのだ。

愚老は、夫人が結婚前に守一から肖像画を描いて貰ったことがあるという話を聞いて、彼女はその時に熊谷守一に恋心を抱いたのではないかと想像してみた。だが、これはとんでもない思い違いだった。守一の娘の榧が書いた本を読んでいたら、次のような一節にぶつかったのだ。

<当時、モリ(守一のこと)の交友グループに、母が原愛蔵夫人として加わっていた。原氏はまだ画学生で、モリはいわば先生格だったのだろう。母は、夫と一緒にいるより、そんな交友グループの中でわいわい遊んでいる方が楽しかったという。「アトリエで絵具をかぎおり懸想の子」とかいう与謝野晶子の歌があるが、当時の母の心境だったらしい>

これを読むと、熊谷守一は42歳の時、後輩の妻を奪って、自分の妻にしているのである。この頃、守一はパトロンでもあった友人の斉藤豊作から、一緒にパリに行かないかと誘われていた。斉藤はフランスに永住する決意を固め、守一にも同行するように誘っていたのだ。が、この時守一が「好きなひとがいるから」と断っているところをみると、彼の花子夫人に対する感情も並々ならぬものがあったのである。

夫人は和歌山県の大地主の次女だった。父母に早く死なれた彼女は、後見人のおじに託されていたが、そのおじから見合結婚をさせられそうになったので、彼女に想いを寄せている遠い親戚すじの画学生と急いで結婚したのだった。その画学生が、守一の後輩の原愛蔵だったのである。

守一が、結婚前に妻の肖像画を描いていることは事実だった。彼が二科展に出品した「某夫人像」というのがそれで、画集でその作品を調べてみると、描かれているのは穏和な表情をした主婦風の女性像であり、うら若い未婚の娘の肖像画などではなかった。守一は後輩の妻の肖像画を描いているうちに、相手に強く惹かれるようになったかも知れない。だから、夫人の肖像画が二人を結びつけるきっかけになったという想像はあまり的はずれではなかったのである。結婚したとき、守一は42歳、夫人は24歳だった。

不倫の愛を貫いた花子夫人は、その後も夫を深く愛していて、娘の榧が守一とあまり親しげに話し込んでいると、嫉妬した夫人が台所から出てきて父娘の対話の邪魔をしたという。

守一は、これ以前にも北海道にいた頃、ある女性と同棲し、子供を一人もうけている。だが、女性側の親族は生活能力のない守一との結婚に強く反対して、二人の仲を引き裂いてしまったといわれる。こう見てくると、「現代の仙人」と呼ばれた守一も、女性関係に関する限り、なかなかの発展家だったのである。

日曜美術館で熊谷守一に関する番組を見て、それから展覧会に出かけて彼の作品を実際に鑑賞した愚老は、熊谷守一の世界を少しばかり理解したように思った。

愚老が注目したのは、彼が対象を長い時間をかけて入念に観察し、その観察が複雑の極地に至ったときに、一転して対象を単純な図柄の絵にしていることだった。守一は毎日庭に出て、花や昆虫を他人の数十倍の時間をかけて観察する。だが、それが作品として現される段階になると、まるで子供が色紙を貼り付けたような平塗りの稚拙な画像になる。

そして彼はその絵を、「これは、自画像だ」と言い張るのである。彼は最終的に自分の描く絵のすべてを自画像だと断定する。守一の描く単純な図柄は、アジサイならアジサイの典型であり、それが純粋化されたイデアのようなものではないかという気がするけれども、彼の作品にはその種の普遍性はないから、それらはやはり熊谷守一独特の個性を横溢させた彼の自画像だと見るしかなくなるのだ。

愚老も以前に無い知恵を絞って、自分の考えをまとめようと努力したことがある。明けても暮れても考え続け、首尾一貫した思想体系にするために精魂を使い果たしたのだが、紆余曲折をへて最後に残ったのは、文字にすれば数行で終わってしまうような感想でしかなかった。こうしたことは愚老だけでなく、多くの人間が体験していることだから、その体験と照らし合わせて、人は熊谷守一の作品に惹き付けられるのである。

人は彼の作品に惹き付けられるだけではない。彼の生活、彼の日常により強く惹き付けられる。

愚老は彼の日常を知ってから、自宅の庭をゆっくりと時間をかけて眺めるようになった。これまでは百姓仕事が中心で、農業に関係のない庭木やあちこちの草むらについて、目で撫でてその脇を通り過ぎるだけだったが、今や仕事に関係のない場所で頻繁に立ち止まり、そこにあるいきものの形をしみじみと見入るようになった。

百姓仕事も、それまでの実利一辺倒のやりかたではなくなり、生態系を観察するという視点が加わって、作物につくテントウムシの振る舞いなどをじっと眺め続けるようになった。野菜を収穫するという実利と、生態系の観察という知的好奇心が両立したときに庭で働く喜びが十全なものになる。

熊谷守一は結婚してから約50年間、家からほとんど出ることなく生を終えた。97歳の生涯の半分を、さして広くはない庭の中だけで過ごしたのである。彼に倣って庭で過ごしてみると、庭はそれ自体で一個の世界であり、広大な宇宙を映し出している鏡面であることが分かってくる。庭の草木やそこに棲む昆虫は、実感的に自分の家族と感じられるようになり、そして自らがこれら家族と共に宇宙に抱き取られているように思われてくるのだ。